陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-09-19

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オームとマインドコントロール

チェンジジャパン日本を変えよう(ChangeJapan) というユーチューブサイトの
「オウムとマインドコントロール」を久しぶりに見て、色々思い返していた
https://www.youtube.com/watch?v=f19DDrJsCRQ

当時、私も幸福の科学の会員として
オウムの施設の全国一斉捜査を訴えるビラを警察署などに配ったりしたことがある
大川総裁の霊言も有り、オウムの犯罪は明白にされていたので
警察が動こうとしないことに対して
私は参加できなかったが東京などでデモ行進をした

最初の工房を山陽町の山の中に造っている最中で
友人が柱の陰にサティアンとか書いていたのでその時期をよく覚えている

いま、宗教という言葉に違和感を感じている人が多いのだが
その原因は、私は、創価学会などのせいだと思っていたが
このサイトの中で与国秀行さんが言っている言葉を聞いてハッとさせられた

オウムの明白な犯罪のせいだった
悪魔が宗教を隠れ蓑に使いびっくりするような犯罪の数々を行っていた
そのショックが、国民の中に残ってる

そのために、人間として一番大切な宗教心が傷つけられ
新興宗教と言うと胡散臭いモノのように暗示をかけられてしまったのだ

選挙でも宗教でなければ応援できるのにという意見をネット上でよく見かける
政策としては、幸福実現党の政策が一番まともで良いと思うのだが
宗教政党という事を前面に出すべきでないという意見なのだ

私も幸福の科学が宗教法人枠を取得する時にイヤだなと思った記憶がある
それまで「人生の大学院」という打ち出しで書店に本を置いてもらう活動をしていた
その当時、オウムの信者も書店活動いていたようで
ある書店の店長さんでオウムに傾倒していた人も居た

このサイトでも言われているが、有名人や東大の宗教学者などが
オウムの事を褒めて
幸福の科学のことをけなしていたことも覚えている

それほど、人の認識力は様々で正邪の区別は難しいようだ

私の陰陽学的な考え方で
二つの視点で繰り返し見るようなことをして
物事が立体的に見えるにつれ

信仰とか宗教とか
要するに、より高次な意識レベルで見るような努力が出来なくて

左脳的な視点だけ
記憶領域での認識だけ
自分が正しいと思っている面だけで考えていると
それこそが、マインドコントロールに陥ってしまう

催眠術でも同じことなのだが
かかろうと思えば導入の言葉を信じて
それに従えば良いだけなのですが

冷めようと思えば、
かかりたくなければ
それと対抗する考えを持ってきて
二つの視点で考えるようにすればそのコントロールから抜けることが出来ます

一旦かかった催眠術も
時間がたてば、自然にそれと違う暗示を次第に自分にかけることになるので解けるのだ

躁鬱病でも同じことが言える
2つの視点が常にあって心のコントロールを中道に持ってこようとすることで
その暗示は解ける
要するに、行き過ぎないように当て舵をするようなものだ

いま、私も、宗教アレルギーに対して
このような形で逆暗示をかけて
本来の正しい宗教の必要性を訴えています

両目で見るが如く
立体的に見える視野の獲得こそ本物を見つけるためには必要な事です

私の陶芸の作品が本物かどうか
時代や地域を越えるモノになるのかどうか
未だその成果は出ていませんが

その成果についても
あのゴッホの作品がゴッホが生きている時には評価されていなかったという
歴史上の事実を慰めにしている面も無くはありません

というより、生活雑器を造っているので
多くの人が喜んで使ってくれていることで満足しています

その価値の評価は、最後は人々の心の中に有る神にゆだねるだけです



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