陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-09-13

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正と反と合 そして 自と他と全体

正と反と合の考え方は、
ヘーゲルの弁証法における考え方のようですが
私は、この哲学的な事を知らなかった

今、調べてみてもその詳しい内容を知ることは難しい

しかし、このフラクタルの森での視点
「自と他と全体」で考えるように見れば簡単に理解できるというか
こういう事なのだろうと思われる

画像の説明

自分の正しさが、正しくて
他者の主張する正しさは、反対の意見が多い
それぞれの意見を白紙の上に載せて考える事

自己の正しさが必ずしも真実であり正しい訳でない
と言っても、世間の言う常識となっている正しさも間違っている可能性も有る


催眠術にかけられたように
常識を信じ世間の学識有ると言われるような人たちが主張する正しさを受け入れているが
それであっても正しいわけではない
歴史を見ても、その時代に常識と思われていたような事でも覆されてもいる
これは、宗教的の事だけでなく科学的な内容に置いても言える事だ

時間を流れ条件も背景も違ってきていて
昔は正しくても今は正しいとは言えない状況も有る
本当の正しさを求める作業をしなければならないのだ

画像の説明

こういう作業をしていると色んな常識が崩れてくる
今の政府や学者たちがしようとしている消費税増税など間違っていて
自分で自分の首を絞めるような事なのだ
その原因は、他の部分での間違った正しさを信じ込んでいることから来る

この作業は、ジャンプするように他の認識を背景にする場合が有るので
常に考えをめぐらせ、かつ、疑い、深く考える傾向がなと難しいだろう

頭の良い人たちは、記憶力が良くて常識から離れにくいのだろうが
私のような頭の悪い人間にとっては、なんで?どうして?と
ついつい思ってしまうので知らずに真実の門の前に立つことが出来るのだろうと思う

自分の正しさの上に立ってからも
他者の正しさの上に立って自説を見たり
その他の他者、全体的な視点、常識的な視点から見たり
神様の視点から見たらどうなのだろうと観たりする作業を繰り返すので
自説を信じるようになってきた

私は、右側の意見が正しいと思っている

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