陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-08-24

Top / FrontPage / 2019-08-24

神と悪魔

神と悪魔の中間に凡人である私たちが居る
この絶対的な善悪を区別することが出来るかどうか
その選別でどちらに向かおうとしているかが分かれば良いのだが

しかし、社会生活の中でその判断は、本当に難しいものが有る

天国と地獄という世界があり
その中間域で私たちは浮かんだり沈んだりしながら生活している

その浮力の調整でもあるが
その浮力に当たるものとは何だろうと考えて見る

幸福の科学の教えでは、愛を基準にして考えることを学んでいる
「与える愛」なのか「奪う愛」になっていないかという反省である


私は、この教えを「自分」がどこで考えているのかという視点でも見るようしている
だれであれ、基本は自分を中心にして考え判断するのだが
その自分をどこに置いて見ているのかという事だ

天国(神)・天使・善人・・凡人・悪人・悪霊・地獄(悪魔)
というように直線に並べて見る方法も有る

整理すると
神   ・・・全人類を我が子のように見ている存在
天使  ・・・神仏の子として見ている存在
善人  ・・・他人の事、全体の事も考えている存在
凡人  ・・・自分の事で精一杯の存在
悪人  ・・・他人の事、全体の事を考えず自分の都合だけで考える存在
悪霊悪魔・・・人を積極的に不幸にしてでも自分を優先する存在

このように見ると
「自己中」という言葉に有る本質部分の程度によって天国地獄を分けるようだ

これを大きく見ると
全体(神)の視点に分けられます

「世の為、人の為、恵まれない人々の為」という良識ある言葉も有るが
大いなる自己の立場で言っている言葉と
そうでなく、限りなく自己中の中で、
自分の意見の正当性を示すために使われる場合とが有る

聞こえが良いからだ
良い意味の言葉も使う主体が変われば、その本質は違ってくる
主体をどこに置いているかだ
どのような自分に置ているかだ

宗教の言っていることも政治家の言っていることも
言っていることはよい事としか言わないけれど
聖書の中で言われているように果実を見れば分かる
良い種と悪い種の違いが結果が出て行く過程で明白になる

選挙などでの政党の政策などにも言える
具体化されて実際に実現されていないことでも、言葉にされた以上
成長すればどのように育っていくのか想像できる

れいわ新選組などの政策を見れば
優しい事がいっぱい書いてある
聞いている私自身も
自己中の視点で聞いてみるとうれしいと感じてしまうのだ

奨学金をチャラにしてくれたり
最低賃金を政府保証もつけてでも1500円に上げてくれたり
所得補償が有ったり
原発廃止があったりします

消費税廃止の方向は良いとしても
どれもこれも甘く優しい政策ばかりです
なにがどう正しいのか、考えの主体を
自と他と全体(神)の視点に分けて考えると見えてきます

自己中の視点で見ればどれも有りがたい政策です
しかし、他者を含め国家レベルで考えると矛盾が出てきます
そして、全体(神)のレベルで見ると
根本的な解決をしようとせずに
要するに、反省もしないで表面的にいじっているだけでは
マイナススパイラルの流れを止める事は出来ません

この山本太郎の政策に賛同されている方は、
小さな自己中の中で判断されています
そして、このような甘い優しい政策で釣ろうとしている存在が
どこを足場にして政治に関わろうとしているのかを見破らなければなりません

あのヒットラーのナチス党も民主主義の中で出てきました
その支持率は驚異的なモノが有りました
アウトバーンの建設など
積極的な財政政策はよかったにせよ
果実としては、悪魔の所業を許すことになりました

最初、山本太郎氏の演説を聞いた時、
頭に浮かんだのはヒットラーでした

先日、携帯をいじっている時に
偶然にあるニュースサイトが出てきました
そこに二つの記事が載っておりました

一つは、れいわ新選組を賛美するページで
もう一つは、幸福の科学を貶めるような記事でした
このニュースサイトが、何をバックにもって運営されているのか明白です

賛美するページは読むことができましたが
貶めるページは、どういうわけか見れませんでした
そこで、パソコンで幸福の科学を否定するようなサイトを探して読みました
その同じ記事は見つかりませんでしたが
他の悪魔の所業とも思えるような記事を見たことで
繰り返しマイナスの影響を与えようとする想念にさらされます

考える視点を自己中から離し考えることで簡単にその想念から離れられるのですが
自己中のままで居るなら難しいだろうなと思います
暗示にかかるのです

日韓の問題なども同じことですが
自と他と、そして全体(神仏)の視点で立体的に見ようとすれば見えてくることなのですが

間違ったことでも、繰り返し
情熱をこめて訴えられると
なんとなく、本当に有ったことのように信じ込まされてしまいます

それほど、現代社会は、地獄に近くなっているのかという事のようです

立体的に見て、善悪を峻別しなければなりません

その為にも不可欠なのが
神なる存在を肯定し信じる事です

無神論、無宗教は悪魔の宗教です



コメント


認証コード(3831)

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

備前焼