陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-08-21

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自と他と全体

人間が人間として存在し
自らから観ても、その自らの、その存在価値が有ると思えるためには
何が必要であるのか考えてみる

もちろん、自らが評価するものもあるが
他者からの評価は大きいものがある

しかし、多くの場合は、意見が対立しお互いをけなしあう事も多い

そんな時に、どちらの意見に分が有るのか決めることは難しい


画像の説明

実際の視野においても
ふたつの視点が有ることで物事が立体的に見えるようだ

ふたつの視点が有ることで
第三の視野(映像)が開けて見えてくる

実際の眼でも
片方の目で見えていない映像を
もう一方の眼で見える映像と重ねることで
ふたつの映像を重ねて見ることで
どうやら距離感までも見えるようになるようだ

このように
あらゆるものの中に
3つの視野(視点)が有るように思えて来た

時間、縦軸での見方
 ①現在 ②過去 ③未来

空間・横軸での見方
 ①自 ②他 ③全体   

4次元的霊的見方
 ①現実 ②事実 ③真実 
 
4次元的霊的見方
 ①悪い子 ②普通の子 ③良い子

政府の資金調達法
 ①税金 ②借金 ③造る

善悪の判断をどの自分がしているのか
 ①自己中 ②集団として ③神仏の子として

玄明陰陽学の本質は、

目に見えやすい陽と
目に見えにくい陰とを見ようとすることで
さらに、目に見えにくいモノ
さらに大切なモノが見えてくる所に有るようだ



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