陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-08-20

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信用、信頼ということ

いろんな国や地域や個人の経済問題を見て考えるに
この「信用」という課題は、本当に重要な事だと思わされる

この信用というワードは、全ての価値あるものを支えている

画像の説明


国レベルで考えて見てもそうだ

社会主義国家が国家の制度を変えて資本主義を導入したとしても経済発展はしない
旧ソ連が解体されロシアとなって西洋に習い資本主義を入れてもうまくいかず、
経済は疲弊していった
しかし、その後、プーチンがかじ取りするようになって復活した

その原因は、「宗教」にあったようだ

元々有ったギリシャ正教を国民の中に根付かせて
政治経済の中に宗教的精神を入れようとされたようだ

政治経済の仕組み、要するに形を変えただけでは機能しない
そこには、マインドが大切であり
そのマインドが信用できるものである必要があるということ

その信用を支えている要素が
誠実であるとか、約束を守るとか、勤勉であるとか、向上心が有ることとか
日本で言うところの二宮尊徳精神である

この精神が無ければ、資本主義は成り立たない

旧ソ連では、唯物論、無宗教をベースに国造りをしてきたために
賄賂が横行したり、上っ面だけを整えてごまかすなど
信用とかけ離れたことが横行していたのだろう

プーチンは、そこに、率先してギリシャ正教という宗教を前面に出していった
ギリシャ正教の教えの具体的な内容は知らないが
客観的な視点である神からの視点が、日常に心の中に有るのと無いのとでは大きく違う

基本にある自己中の考えが神という概念が加わることで和らげられる
この、無神論から有神論への国民的意識の変革がその後の資本主義をささえていったようだ

日本の「武士道」の中には、宗教と切っても切れないものが有る
聖徳太子が神道の神主であるのに
仏教を日本に入れ、神仏混合が成されたことで寛容さが生まれ
儒教や道教の宗教的精神も日本に入り
その後の武家政治の中に密着して来たおかげで
武士道の中には「恥を知る」という文化が根付いた

神や仏や天に見られていると思うと
悪いことなど出来なくなる
恥ずかし事が出来なくなる

神仏や天から観られて信用を無くするようなことは出来るわけが無いのだ
神仏を信じている人にとっては当然のことだ

しかし、現代ではどうだろう

無宗教、無神論、唯物論で人々が教育されてきたせいで
「自己中」が蔓延することになった

そのせいで、まだ、信仰心が残っているような人でも
神仏すら自己中の思いで、自分の願いをかなえさせる下僕のような扱いをする
自分の願いをかなえてくれる存在としか見ないようになった

人は、基本、自己中では有るが
そこに信仰心が無ければ
最悪の自己中になり
様々な所で事件事故を起こすことになる
どれもこれも「自己中」のなせる業だ

そして、この自己中には
消極的な自己中も有ることを忘れてはいけない
普通の自己中なのだろうが
「無関心」という「自己中」だ

この事の招き入れる悪には限度が無い

神仏の存在を心の底から信じる事だ
そして、他者も全て
神仏の子や孫であることを信じるべきだ

そのように信じて考え行動すれば
自己中でやりたい放題のことなど出来るわけが無い

為政者であればなおさら必要な心だ

政教分離と言う言葉を間違えている人があまりに多いが
政治に宗教、神仏なる存在意識が無ければ
自己中の蔓延する国となり
獣の国となる

無関心という自己中がそれを支えることになる

その未来は
あらゆるものに「信用」が消えていくと
その価値も消えていくしかない

その価値が消えていくと
日本という国も
あらゆる存在も消えていくことになるのだろう



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