陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-08-15

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信用

信用というワードに隠されているモノ

信用とは、評価にかかわり、その価値を決めるもの
その評価と価値にも4つの部分が有ることが面白い

与えられるモノ(情報)と与える者(発信者と受信者)

情報自体の◎×
情報を受ける側、発信側の◎×


本当なら、この4つの視点で考える必要が有るのだが
現実は、一点でしか見ない傾向が有るのだ

要するに「風評」だ

特にテレビなどメディアで流されたものの力はすさまじい
信じ込まされてしまうのだ
暗示にかかってしまい
一部の人たちが冷静に検証している情報に触れても
それを信じることなく、強く発されている情報や
繰り返される声を聴き過ぎて催眠術状態のまま
自分の考えのように思い込まされてしまう

この図は、原発事故のすぐ後に作ったもの

今、まさに、韓国などがやっていることだ

徴用工問題、慰安婦問題、植民地問題、様々あるけれど
これらNHKはじめ日本のメディアは中立の立場で報道しているつもりなのだろうが
その報道姿勢が、まさに韓国の思うつぼでもあり
本来、視点を変えて観る事が出来れば、言いがかりにしか過ぎない
ごく一点を見て、ウソを本当のことのように伝えてしまう

ウソも何度もいっておれば、言っている本人も聞いている人も
本当に有ったことのように思わされてしまうのだ
情報を伝えるにしても善悪の判断が不可欠
その善悪の判断が出来ないのは、神仏への信仰心が無いからだ

こう言っている私でさえ、NHKの報道などを聞いていると
本当に有る問題であり、何とか解決しなければならないのだろうくらいに思ってしまう

恐るべきプロパガンダ
催眠術のかかったままの人が、当然、報道側にもいる
そういった人が左翼的思考にはまりリベラル傾向を持つようになる
優しい態度でいたいのだろうが、愚かな事なのだ

TVでよく見かける元参議院議員の田嶋陽子さんなどが良い例だろう
ものすごく好感出来るのだが、本当にそろそろ悟ればと思ってしまう

彼女の思考の問題は、立体的に見る能力が欠如していること
他者の意見に耳を貸そうとしないこと
その理由は、自分に自信があるのだろうけれど
ある意味臆病で、自分を守ろうとする傾向が強く働くからだろう

さらにその背景に有るのが、唯物論、無神論
神仏の視点で見ようとしないせいでもある
客観視が出来ないのだ

自分という片目ばかりで見て
もう一方の、他者の目で見ようとしないために
神仏からの目でもある第三の視野が開けて見えないのだ

必ずしも自分の意見が正しいわけではない
誰でも簡単に暗示にかかってしまうモノなのだ

備前焼の窯の知識でも
昔、聞いた内容が強く心に残っていて
言われた本人も違った意味で言われていたのかもしれないのだが
その時受け取った情報の暗示に今でも振り回されることがある

似たようなことが、人生上で出会った様々な事にも間違いなく有る

その情報自体の◎×と
それを聞いている自分も含め、情報発信源の◎×も有る
要するに、反省という事だが
仏法真理を学ばなければそれは難しいだろう

サルの反省レベルで終わってしまう

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