陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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良い投資家、悪い投資家、普通の投資家

政策金利とかで利下げとか利上げすることで景気に対応しようとしている
株式や債権、通貨などに対する投資もあり
それらに流れる法則的なモノも有るのだろうが
私は、直接関わったことも無く、
そのことでの利害を直接感じる事も無く細かな事は分からない

しかし、それらに関わっている人達は、本気で向き合っているのだろう
投資に関わっている人達にも、当然ながら優劣が有るだろうし
判断の座標軸もそれぞれに違いがあるだろう

基本、人で有る以上
良い人、悪い人、普通の人がいる
そして、個人を観ても
たとえば、私で言えば
良い玄明さん、悪い玄明さん、普通の玄明さんとがいる

一定では無いのだ


そして、その良い悪いを決める物差しが問題になる
その物差し自体を考えると基準となる主体なるモノがある
それも、基本は、自分を主体として考えるしかない
その自分にも、良い自分、悪い自分、普通の自分とがある

と、考えていくと堂々巡りのようになるが
その判断に大きく左右する要素が、その立ち位置に有るだろう

①個人としての自分
②国家(団体)の一部としての自分
③神仏の子としての自分

人はどうしても、自己中で良し悪し、善悪を考えるけれど
この3つぐらいの立場で考えるとより立体的に見えてくる

色んな物差しが有るが、最高の物差しは神様の心に照らしてみての良し悪しだ
最悪の物差しは、自分さえよければ良いという自己中だ

個人を企業に置き換えてみると
最悪の自己中は、グローバル企業の中にある
企業の利益ばかりを考え租税逃れに走り国家の枠を否定する

選挙でも
それぞれの政党の政策を観ると
①②③のどこに自分を置いて考えているかが分かる

①で観ている政策では、必ず蛇行するし未来を見通すことは出来ない
国政に関わる以上②に自分を於いて考えるしかないのだが
選挙で票を集めるためには選挙民に受け入れられるためには
どうしても、①の個人の利得に訴えかけるしかない
それが、ポピュリズムだ

①レベルに答えることは簡単だが
②レベルで考えなければ国家は破綻する方向に走る
国政選挙である場合、②での国家レベルで考えることを訴える必要が有る
そして、同時に③レベルで考えなければならない

このことを実践しているのが、アメリカのトランプだろう
長い演説の中に時々、創造主という言葉が入っている

今回の選挙は、各党とも①レベルを中心として国家を語るが、
国家を主体としては考えていないようだ
あの幸福実現党という宗教政党であっても
③レベルでの訴えかけが少なかったように思える
もっと、神の視点から政策を説明する必要があったと思う

投資でも選挙でも
このような3段階での検証が必要であり
全人類の親である神からの視点で考える努力が要る

この3段階で観る見方の応用でもあるのだろうが
車の運転で観ると面白い

金融政策     アクセルとブレーキ
財政政策     ハンドル
①②③のどれか  運転手   

日本は、世界中が景気減速を予測し金融緩和に向かおうとしている時に
先んじて緩和をし過ぎたために
金融政策での手の打ちようが無いという

結果として、円高が進み株価が下がるという予測が立つようだ
株価が下がると政府や日銀が買い支えてきた株も暴落し損失が出る
表面化してしまうのだ

アベノミクスでの金融緩和で株価が上がっていたのが元の状態に戻り
金融政策でもある消費税増税でブレーキをかけて来た悪い因子だけが残る
と言うことは、最悪の状況に陥る可能性がある

ここでやれることは、ハンドル操作に当たる財政政策だ
今までハンドルを左にばかり向けていたことを見直す必要が有る

左に向けていた政策とは
運転手が①の立場での政策である

ネズミ講に成り下がっている年金制度が代表だ
政府の使い込みと選挙でのバラマキから積立方式が維持できず
後から来た者が支えるような賦課方式にして
それでも不足するから年金に20兆円もの税金を補填している
それでも足りないから消費税増税である

国民全員が①の立場でハンドルを切ったことで
年金制度自体が存続不可能なものとなり
それを一生懸命に存続させようとする

赤字企業に、根本の解決作無しにお金をつぎ込んでも先が無いのと同じ事だ

犯罪にも認定されているようなモノを国家が運営しているのだから、当然の事だ
これも①の個人の利得のみを主体として政府も国民も1やってきた結果である

②の国家レベルで考え
国家の未来を考えて運転手がハンドル操作をしておれば良かったのだ
以前には、公的年金制度が無くても家庭の絆も深く老後の生活が問題になることはなかった
しかし、戦後、共産主義の左翼的なモノが主流となり
優しいのは良いとしても悪平等がはびこり
家庭すらないがしろにして政府が国民の面倒を見るような形になってきた

「地獄への道は、善意で舗装されている」ということわざの通りに
今、地獄の姿が道の先に見えてきている
それを、優秀な財務官僚は観ているのか
一生懸命に消費税増税というブレーキをかけてでも
悪事が露見しないようにしているのかも知れない

そもそも、ハンドル操作を間違え
向かう先を間違えているだけなのだから
思い切って向かう先を変え
適正なアクセルとブレーキ操作をしなければならないと言うことだ

このままでは、断崖絶壁にさしかかってしまう

ハンドルを左に切っているととは、
社会保障の充実
脱原発
公務員増
奨学金徳政令
最低賃金アップなど所得保障

個人レベルで観ると都合が良く、正しい事だ
聞こえは良いし、人の賛同を受けやすくなる
しかし、耳に優しい政策は、危険だ
それに飛びつくような国民が繁茂するような社会を神は望まれていないだろう
自力で道を切り開き道路を舗装して行かなければならない

③の神なる視点を取りながら
ハンドル操作をしなければ良い国作りも
良い人作りも出来はしない



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