陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-07-22

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選挙結果から見える事

今回も幸福実現党の議員を出すことが出来なかった

ユーチューブで、色んな政党の話を聞き比べて見て
幸福実現党の人たちの素晴らしくも論理的な説明に感動していたせいで
今回は、比例で一人くらいは大丈夫なのかと思っていた

しかし、この結果である
確かに素晴らしい中身の濃い演説が多かったのだけれど
如何せん、視聴者数が少なかった


これで、はっきりしたけれど
国民は、小さな小さな自分でしか候補者を観る事が出来ないでいる

幸福の科学の会員になっている人たちでも
どうしても、小さな自分で判断する傾向を持つように
そうでない人たちは、小さな自分で判断している時間が長いのだ

どのような自分で判断しているのか見える政策がある
原発問題、年金問題、憲法問題、経済問題、
考えて見れば全部だ

人とは基本、自己中だが
どのような自分で判断しているのか見るのにも3段階くらいに分ける必要がある

個人レベルの自分    (自分の中の自分・未来予測)    自
国家レベルでの自分   (国家の中の自分・未来予測)    他
神仏レベルでの自分   (神仏の子としての自分・未来予測) 全体

大きく分けると、この3段階がある

画像の説明

多くの人たちが個人レベルでの考え方から抜け出すことが出来ない以上
神仏レベルでの未来予測が難しいせいで
幸福実現党の政策をイメージしにくいだろう

憲法問題で考えるならば
安全保障のことだ

個人レベルでの好き嫌いと、損か得かで考えたなら
戦争に巻き込まれてくないし
今まで、平和に暮らせてきたように今のままでよいではないかと考えるのは
もっともなことだ
紛争に巻き込まれるようなことに加担したくはない
いじめ問題でもあるように
そのような事例が有っても見て見ぬふりをして
自分に災禍が及ぶことを恐れ無関心でいることを選んでしまうのと同じことだ

憲法9条にこだわる人たちには、同じレベルで国政を観ている

国家レベルで観ている人は、
そんないじめに対して毅然として立ち上がることも有るだろう
それが自国を守ることにつながることを理解しているからだ
政権与党となって国のかじ取りを任されると
必然的に国家レベルで考えざるを得ない
しかし、あの安倍首相でも、加憲でごまかそうとしている事でわかるように
本気で憲法改正を願ってはいない

神仏レベルで考えるなら
全人類の親である存在を想定して考えるなら
人がいじめられ苦境に陥っている時に助け船を出すことは必然である
自国を守るため善良なる他者を守るため
侵略戦争を起こそうとする自己中の国家に対する歯止めの為にも
軍備を整える事は必要です

このように
政局の課題を考える場合、3段階ぐらいの自分で考える必要がある
そうすれば、だれしも小さな自己中ではあるが
国政をゆだねるべき政党がどこで有るのか
はっきりと見えてくる

政治を司る以上
より大きな視点が必要なのだ

このような選挙結果を神仏が見られて
神々は、積極的にその恩寵を下界に働きかけることはされないだろう
天変地異の天災に対しても積極的に押しとどめようとする力も萎えるだろう
その小さな自分たちが選んだように、
その原因結果に基づいてその成果を受けなさいという事におそらくなるだろう
小さな小さな人たちが運営する国家は、見捨てられる事となるのかもしれません

しかし、信仰心を持った私たちである以上
黙ったままで経済が疲弊し、他国に蹂躙支配されるような未来を認めるわけにはいきません
そのためには、小さな自己をより大きな自己としていただくための伝道活動は不可欠です

その時に、小さな自己の意識から離れる必要が有るでしょう
あのイエスキリストや吉田松陰のように
小さな自己を捨て天下万民、未来の世界の為に生きた偉人たちが沢山いたのです

それらの人々のおかげで、今の地球は存在出来ています



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