陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-07-19

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本格的な宗教政党の必要性

物事には、判断の基準がある
私たちが道を選択するにしても基準がある
政党として政治や経済の中で何を基準として動くのか

私たち個人でも
好き嫌いか  ・・・ 右脳的選択
損か得か   ・・・ 左脳的選択
この2つが基本的な基準となる

画像の説明

そして、もう一つ、善か悪かという基準もある
これは、額に有ると言われているチャクラで観ているのかもしれないが
神仏からの視点だ


宗教政党の場合、ここでの判断が中心になる
神仏の視点で見るとどうなのかという判断が一番の基準となる
そのように努力することが求められることになる

一般的な政党なら
政治家たちもそうだし、選挙民に対しても訴えかける基準は損か得かだ
どうしても、目先の損得で政治経済を考えてしまいがちだ

しかし、宗教政党の場合は、目先の損得だけが基準になることは無い
神仏から観た善悪でも考えることになる
ただ、この基準で観たほうが長い目で見るとプラスになる

宗教政党として
自分たちは認めようとしていないけれど創価学会、公明党が有る
しかし、彼らは、宗教政党という事を言いたがらないように
信仰心を中心に判断しているわけでは無いようだ
ご利益信仰というとらえ方も有るように
一般的な損得を中心に持ってきている

そうすると、どうしてもバラマキ的な政策多くなる
選挙に通ること、票を入れることも
目先の損得ばかりで政治経済を扱うことで
蛇行し実質的なプラスにつながら無いケースが多くなる
勝ち負けばかりにこだわり、獣たちの政治経済となってしまう

各人が損か得かで判断するためにバラマキが多くなると言うことは
幸福の科学での教えの「奪う愛」状態での循環となり
ここまで借金が膨れあがっても経済(GDP)は成長できないで居る
明らかに悪循環になっているのだ
経済の循環に限らず「与える愛」の循環が起こらなければ
何事に置いてもプラススパイラルは起こらない

本格的な宗教政党が生まれなければ、ダメだ

考える主体を、個人の好き嫌いや損得に置くのではなく
考える主体として、より大きなモノを持ってくる必要がある

個人レベルから国レベル
そして、地球レベルでの判断が必要だ

全人類を我が子と観ておられるような神仏からの視点
その視点からの善か悪かで最終的に判断することが出来なければ

危うい

神仏が応援したくなるような方向の政策を選ばなければ
絶対にダメだ
神仏が応援したくなるような方向に国、民が進んでいかなければ

神々の恩寵も無くなり運も悪くなる
神仏は、分かり易い形でその恩寵を下ろされることは無いだろうが
親が、子や孫が努力し素晴らしきことに努力している姿を観て
見えないところでの助力を惜しむことが無いように
それ以上の助力が降りてくることになるでしょう

通り過ぎて、なんでこんなに運が良かったのだろうと思えるようなことになる
運が悪いことが続くようなら天意に沿っていなかったのではないのかと
反省を迫られる面も有る

画像の説明

幸福の科学の信仰の対象は「地球神」
幸福実現党の考える主体は「地球神」である
全人類を我が子と観て
その子供たちに永遠の転生輪廻の中で心を磨き
その磨いた魂で、その結果としてユートピア建設を願われている存在

好きか嫌いかや損か得かを越えて善悪の判断が不可欠だ
自己のみでなく他者の視点でも考え、そして、全体の視点でも考える
この3点からの測量が、正しい判断を産み出し
平和で豊かな世界を創り出していく

お題目だけで終わることは無い



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