陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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◎ 玄明の独り言

土から器を作り続け 作りながら考えることが有る
この器がこの世に生まれ出るために一体何が必要なのか
その必要十分条件とは何かと

一つは、
生まれるためには、作ろうとする作者の思いか
誰かの作って欲しいという願いが不可欠だ     ・・・陰(思い)

そして、
作り出すため様々な具体化のための努力が必要になる・・・陽(行い)

偶然に出来上がることなどあり得ない


粘土が有り薪が有れば様々なことが重なって偶然に器らしき物が出来て火に焼かれ
それが次第に適者生存し、自然淘汰され、進化して、端正な器になっていく事など不可能なこと

まして、生き物の場合
その精緻さ故に比較になろうはずも無い

しかし、私も、昔は、無機物と違い有機物だから
自然に合成され偶然に出来ることも有るのだろうぐらいに考えていた
今考えれば、まるでカルト教の如く信じ込まされていた

考えることさえ出来れば、そんな事などあり得ようも無いことは理解できる
しかし、思考停止、エポケー、思考放棄
未だNHK始め世間は信じているようだ
その罪には大きなモノが有る

なぜ、そんな間違いが生まれるのか
陰陽で考えると見えてくるのだが

ダーウィンの進化論は、愚かな理論
陽(ハウツー)の部分しか観ていない
設計図(陰)なく完成する物(陽)など何もない

生物に遺伝子というDNA、命の設計図が有るという事は知っている
ということは、設計者が居るということ

ただ、唯一絶対の神が全てを作られたとする考えもどうかと思う

陶芸作家にも色んな個性が有り
色んな器が焼かれるように
色んな個性の神々がおられるのだろう

おそらく、その神々を創られた主なる存在も在るのだろうが
そんなことは分からない
素直に分からないことは分からないと認めるべきなのだ(無知の知

ただ、推定できることは
いろんな陶芸家が器達に願いを込めて作り出すように
神々も願いを込めて私たちを産み出しているのだろう

どんなに民族が違っても
どこに住んでいようとも
どんなに文化が違い
宗教が違っていようとも
確かに同じモノが その内には有る
共通した思いが心の中に刻み込まれている

神性、仏性とも言えるモノだが
心の奥に確かに有る

お役に立ちたいと願う心
その存在意義とも関わり
その幸福感とも関わるものがインプットされている
お役立ちの結果、評価とか報酬とか生まれては来るが
その見返りが無くても、心は豊かになる

この心の充足感

おそらく
創造された神々の願いと同じモノがその内に刻み込められているのだろう
そして、神々と同じ力で
様々なモノを産み出してもいるのだろう

全ての存在には、どんなに小さくてもその願いが込められている
作られている以上、器にも願いが込められているように

私たちの心には
何らかの素晴らしいことに貢献し
役に立って欲しいという願いが込められているはずだ

その意味を考えること無く
表面的な結果ばかりを求めて
生きることのむなしさを
多くの人は、知っているのだろうか


神の願いを知り、
それを選挙の判断に使う事が出来れば日本の政治は良くなっていくでしょう

正しさを求める時「客観性」が大切です
多くの場合、善意の第三者をもってこようとしても、どうしても自分に都合の良い存在を持ってきます
最善の客観視は、神様からの視点ですが
信仰心が有るという人でも、どうしても自分にとって都合の良い神を持ってくるでしょう
「幸福の科学」の信仰の対象は「地球神」です
全人類をわが子と観ているような存在です。

この視点を理解してもらわなければ
「幸福実現党」の政策を理解できないでしょう。



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