陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-06-26

Top / FrontPage / 2019-06-26

経営ということ

今、国家の経営に置いて経済成長せず停滞している現実が有る
あまりに大きすぎ素人には荷が重すぎてよく分からない

しかし、全てはフラクタル
小さなモノに翻訳して考えることも大切
国家の前に地域社会が有り、企業があり、家庭があり、個人が有る

個人で考えても
心の経営という見えにくいモノも有るが
経営とは面白いモノだ


個人の人生を経営という視点で考えても
まず初めには借金が有る
両親から多くの愛情と手間暇と費用をかけられて育つ
言い換えるなら、様々な価値を注ぎ込まれて成長していく
そして、恩返しでの報恩行為がなされ
両親に返すだけでなく
新たな家庭を更に素晴らしいモノへと造り上げていく

企業もそうだ
最初は、資本金という借金があり
社会のインフラとか製品や資材
様々な価値あるモノを使わせて貰いながら成長していく
そして、恩返しの報恩行為として社会にお返しをしていく
与えられた以上のモノをお換えししていくことで社会は成長していく

国家もそうだ
最初に税金として集められた資金があり
足りなければ、国債で借金をしてでも
様々な施設をつくり、様々な仕組みをつくり、国を守り
その報恩行為として集めた以上の価値が国内に生まれるようなお手伝いをしていく
そうして国としても成長発展していく

要するに成長する義務をあらゆる経済活動は持っているということ
どうやら、これはこの宇宙の法則そのもののようだ

大川隆法総裁の教えの中に「幸福になると言うことは、権利でなく義務である」とあります
人によったら、これ以上頑張って成長しなくても良いんじゃないか
下り坂を楽しもうなどと下山の思想を言う人もいるが
これなどは、まさしく、宇宙の法則に反している

心の経営においても実際の経営においても成長する義務が有るのに
それを放棄し与えられたままでお返しさえ出来ないとするならば
「奪う愛」のみで「与える愛」から遠いモノで終わってしまう
その有様を見られたならば
様々な価値を注ぎ込まれて来た存在達は悲しむだろう
「与える愛」のその思いとその行為に
そのドラマに感動することでその存在のエネルギーはアップすると思われるからだ

創造の神は、
全ての存在に素晴らしくなって欲しいと願われて宇宙を創り育んで来られたはずだ
その愛情無くこの手間暇のかかった宇宙の生態系が生まれるはずは無い



コメント


認証コード(7726)

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

備前焼