陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-05-25

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「政治家」というワードの印象

最近、私の中で「政治家」を観る時に持つ印象が有る
政治家にも良い政治家、悪い政治家、普通の政治家と有るだろうが
醜くおぞましい感じがする
悪い印象なのだ

もちろん、政治家という仕事は全体の舵取りをする大切な仕事である
車で言えばハンドルです

このハンドル操作に必要なモノにナビ的な要素が必要であり
どこに向かおうとしているのか天空から観た大きな指針が有って
目先の状況に応じたハンドリングが必要です


ハンドル操作が上手でなければ政治家は務まらないけれど
ナビ的な視点を持っていない人が多くなっているのではないだろうか

要するに、理想であり、志である

醜くおぞましい感じを抱いてしまう原因は
彼らが描く理想は、志と言えるモノではない小さなモノのせいだろう
自分が選挙に勝つこと、自分の権力が増すこと
自分が評価されること、ディベートに勝つこと
主体が常に自我に有ることが悪い印象を受けている原因なのだろう

もちろん、そのためには、世のため人の為という大義を掲げる必要がある
しかし、その大義を目的に入れているのではなく、手段の中に置いている
何の為の手段であるかというと
自分の為にである

「企業の目的は、利潤追求である」と思いこんでいる事が
自分の政治活動を観る時にも働いているようだ

「企業の目的は、経世済民(社会貢献)であり、その結果目標として利潤(GDP)が有る」
この陰と陽の両面を観る必要が有るのに
結果目標と目的が、表面にあって眼に見えやすい結果ばかりを観てしまうようです

しかも、その結果目標が、自分の利益であり
その結果目標が、目的の中に入り込んでしまっているから
何となくおぞましい感じが伝わってくるのです

その結果ばかりを観る反動で躁うつ病の如く蛇行するのですが
社会貢献ばかりを強く主張して人々に砂糖菓子の如く甘い政策を提示するのです

政治をする側も投票する側も同類であり
結果至上主義となり
目先の判断で蛇行して
ナビ的判断が出来ず
蛇行を繰り返すことになり
結果として、全体を不幸に導くことになります

天空から神なる視点で導こうとする必要が有るのですが
無神論者の烏合の民にはそれが無く分かりません

地球神の視点で、最大多数の最大幸福を目指して
理想郷、ユートピアの世界に導いていかなければならないのに

自分の、自分たちの幸福のためという
小さな小さな世界へと導いていこうとするから
それぞれにぶつかり合いながら事故を起こしてしまうのでしょう

神の願われる理想は、一点です
それぞれの個性を認めながら、その個性が輝き
魂の向上を目指しつつ
神仏の子として輝き合いながら
素晴らしく調和した理想郷を作ってもらおうと願われているのでしょう

この3次元世界に幸福の実現をなそうとされているのです

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