陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-04-29

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与える愛の資本主義 と 奪う愛の資本主義

経済の事で色々学んでいると
余りにも複雑で理解できない所も有るが
ある物差しをあてることで比較的簡単に見えてくる

人が考え動いて経済活動したり
経済の専門家達が理論を構築するのに
左脳的なモノと右脳的なモノ
この十字架をあてがって考えるのだ
その時に4つの象限が出来る
画像の説明


その時重要なのが
この十字架の中心部分である
人の額の中央部分にあると言われるチャクラでもあり
ピラミッドの4つの面を支配する頂点でもあります

人間・空間・時間に関する部分
悟性の中心部分
宗教の根本部分なのだ

幸福の科学で学んでいる
与える愛と奪う愛の方向性の違いを分ける土台なのだ

神仏がおられ
霊的世界、死後の世界があり
魂は永遠で不滅であるという世界観から生まれる方向性です
主体を神において考える傾向が強くなり
この世界観から生まれてくるのは「与える愛」

逆に
神仏も無く
人は偶然に生まれ
死後の世界もなく
死んだら終わりの世界観から生まれてくるのは「奪う愛」

神仏がおられるとしても
神仏を自分たちだけの道具のように使ったりする人達もいます
この3次元の現象世界においては
どうしても主体が、自分自身になって考える傾向が有るのです

愛に関わることで
幸福も生まれますが
不幸も生まれてきます

同じ「愛」ということであっても
この抽象的な概念の中身は本来様々です

私のこの愛の理解は
プラススパイラルを起こす思いか
それともマイナススパイラルを起こす思いなのか
幸福が広がっていく姿なのか
幸福が縮小していく姿なのかと言うこと理解しています

その正否の違いを判定するのは
やはり人間の親である神の視点です
神から見た視点での正しさを忖度する必要が有ります
正しき心の探究」が不可欠であることは当然です

この与える愛と奪う愛の観点から
経済を考えると見えてくるのです

資本主義の良否について議論されることが有りますが
この資本主義にも奪う愛と与える愛が有ると言うことです
資金を集め仕事が成されるわけですが
現代社会では
奪う愛の気持ちでマイナススパイラルを起こすような方向に有るようです

金融取引の中にはそれが忍び込んできます
正当な投資の与える愛からの場合もあれば
それが投機的になって
市場から奪おうとするモノも有ります

IR法ですか
ギャンブル構想などはどう観ても奪う愛の典型です

仮想通貨なども典型的でしょう
それを推奨している竹中平蔵氏など良い例です
彼の功罪を深く見つめたことも無かったのですが
この仮想通貨に対する彼の意見を知ってから探してみると
とんでもない奪う愛の実践者のようです

柔和な雰囲気で
政府の要職にもついておりパソナの役員でもあり
とても有名なので私もその雰囲気に騙されていました

結局、彼には、信仰心はないのでしょう

政治経済にも意見が分かれますが
根本原因を見ようとすれば
その意見の違いの背景には
その世界観の違いがある

この宇宙創造の根本仏
その神様の思いは「与える愛」の塊です
そのことを信じる必要が有る

その神の願いと同じ「与える愛」の思いで経済を見るならば
発展しかない
その思いに陰りが出てくるようなら
次第に奪う愛の状態になっており衰退が起こってきます

世界が間違った方向に進んでいるとするならば
人類の中に奪う愛を実践し
与える愛に生きようとする人が少なくなっているという事です

私のこのHPを携帯で見ると
上の方に「安全ではありません」と出てきます
ショックでしたが
どうも、神とか宗教とか言う言葉がたくさん出てくるせいなのかと思います
楽天での出展拒否も同じ事です
宗教が絡むことは悪いことのように見られ排除されているのでしょう

確かに悪い宗教も有ります
奪う愛のダマシの宗教も、本当にたくさん有ります

悲しむべき傾向で
指導者の中に与える愛の実証者が少なくなっている事でもあり
国民に奪う愛に親和性を持った人が多くなって取り込まれている証明なのでしょう

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