陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-04-09

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目に見えにくい所が見えていない人々

財務官僚や経済学者、政治家やメディア関係者
政治経済の中心に居るような人達の中に
この傾向の強い人達が居る

陰と陽の両面を見れていないのだ

お金で言えば
表面に見えている数字の価値しか見えず・・・陽
それを支えている信用、中身・・・陰
を深く見ていない

その傾向の強い人は唯物論者、無神論者に多いように思える
神の存在にしろあの世の存在にしろ
目に見えない最たるモノだからではあるだろうが
見えにくいモノが見えないと言うことは
どれほど頭脳明晰な人であろうと
愚かな人となりかねないのだ

画像の説明

経済を見て考えるにしても
表面的なお金の流れしか見えていないのでは無いだろうか

そもそも、色んな職業の人が居るが
多くが自分がどんな仕事をしているのか
何の為に仕事をしているのかが
よく見えていない可能性が有る
給与をもらうためにだけ奴隷の様な仕事になっている可能性がある

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この図で分かるように
仕事は、商品やサービスの提供である
この商品やサービスの提供の意味がよく分かっていなくて
ただ、するべきとされていることをこなしているだけの人が多いのかもしれない
その意味を深く考えていないのだ

商品やサービス自体を陰陽で見るならば
その価値の背景には「愛」が有る
世のため人の為にお役に立ちたいという愛の思いがある

どのような仕事にも
野菜作りで有ろうが部品づくりで有ろうが
器づくりであろうが
どのような仕事にも「愛」が込められているのだ
その愛の思い無く、お金を稼ぐためとしか見えていない人々が
この陰陽の片目が潰れているのだ

その陰陽両面がそろわずに仕事をしている人達だ

仕事は、給料をもらうためにしているだけの認識の人が多いように思える
仕事と給与とそれを繋ぐ中間のモノが消えている可能性が有る
仕事は給料をもらうためにしている認識だ

それ故に
消費税増税に簡単に賛同してしまうようだ
商品やサービスを届ける事にブレーキをかけても良いと見るということ、愛を届けようと言う気持ちが少なくなっても良いと思っている事になる

商品やサービスの中に本質的な「愛」を感じることなく
過ぎれば害を及ぼす砂糖菓子のように見ているのかもしれない
ただ金儲けのためのことにしか見ていない可能性が有る

「仕事やサービス」は、「愛」の具体化であり
その「代金」には、循環のために「知」の集積が必要になる
そして、そこから「給与」と投資に振り分けられ活かされるために「反省」の視点が必要になり
「仕事」が継続されるために使われていくのだ

そして「仕事」のレベルが上がり質が向上し
更に多くの人々のお役に立てられるように「発展」していく使命が有るのだ

経済と言う抽象的な課題の中にも
一人の人体
大自然の中にある摂理
素晴らしい神の創られた摂理が有る
愛 知 反省 発展の
仏の作られた摂理だ
それを完成できるのは正しき心の探究無くして出来ないのだ
幸福の科学の教えそのものが
経済を理解するよすがとも私の中でななっている



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