陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-04-05

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論理的に詰めていく

見えにくい所を見ようが見まいが
どちらにせよ、誰もが考え行動して
それぞれの幸福を追求しているには違いが無い

幸福にも刹那的な幸福から
奥深いものまであるだろう

本能に関するモノから
衣食住、日常生活の中での何気ないモノから
魂の奥で打ち震えるような幸福も有るだろう

どちらにせよ
結果、成果として良きことを求めているという事実がある

しかし、その欲望とも言える感情には暴走する面も有り
逆に淡泊で無気力になる面が有る
そして、他者との関係において軋轢を生む所が有って
それぞれに幸福を求めながらお互いに傷つけあったり
それだけでなく
自分の手で自らをもを傷つけてしまう事がある

この幸福という面も
バランス、調整というモノが大切なのだ

例を出すとすれば食事に関すること
少なすぎても多すぎても健康を害することになり
有る一定の範囲の中でバランスを取っている

要するに何事も放物曲線を描くことになり
効果的な範囲が限られていると言うこと

問題なのはその曲線がどんな座標軸の位置に有るのかということ
この背景が人によって違うことだ
体格にもよるし年齢にもよるし行動にもより
その食事の適切な量の範囲は定まってくる

単純な例では有るが
何であっても、この背景の違いに左右される

一番問題にすべきは、私達が生きている世界のとらえ方だ
その時間と空間、そして、私達自身をどう観るかで
その放物線を置く場所が違ってくるのだ

画像の説明


図で観てもお分かりのように
世界が違い前提が違っているとあらゆるものが違ってくる

私は、30歳ころだったか
その前提となる世界観をとことん考えたことがある

死んだらそれでおしまいの世界と
死んでも魂が残り
その責任にしろ
その成果にしろ
自らが受け取らなければならない世界が有るのか無いのかという事

人生設計をするのに
どちらが正解の世界なのか
とことん考えたことが有るのだ

結論は、分からないが結論だった
しかし、真実はどちらかで有るはずだとも考え
おそらく、死後の世界は有るだろうという結論になった

画像の説明

現在の認識は、さらに踏み込んで
創造主、神の存在の有無までも考えた

画像の説明

死後の世界は、おそらく有るだろう
霊的な世界は、おそら有るだろうと言った認識を越えて
様々な霊的な体験や超能力体験を通じて
霊界の存在や創造主の存在まで
確信に至るようになった


更に幸福の科学での学びは、想像をはるかに超えている
おそらくそうだろうと思っていたようなことが
想像をはるかに超えて眼の前に開示されつつあるのだ

UFOが盛んに私達の周りに出てきている
色んな写真が友人から送られてもいる
宇宙人の魂の友人もいた
幸福の科学の講演会には、UFOの編隊まで上空に現れて聞いている

画像の説明
埼玉スーパーアリーナ上空
横浜アリーナ上空では、日中、100機ほどの編隊が来ていた
画像の説明
同じ日の朝、別の友人が幸福の科学千葉正心館の宿坊の窓から撮ったもの
画像の説明
長女夫婦が結婚前にデート中、栗林公園で何気なく撮った写真に写っていたモノ

転生輪廻と言う言葉も有るが
それも単純に地球だけに限定されているわけではなく
宇宙レベルで転生輪廻し
出身星の仲間達も心の教え、宇宙の法を学びに来ているという

彼らは科学技術(陽)的には地球より進んでいても
心の教え(陰)に関しては地球の文化から学ぶ必要が有るようなのだ
宇宙レベルの真理が今、地上に生まれた人を通じて説かれている
宇宙の実像、創造主の想いに迫るような認識まで至っている

しかし、それにしても未知の部分は限りが無い
悟りと言うには
まだまだ、遠い道のりが有ることを認めざるを得ないのだ
特に心の持っている力というのは
神の子として本来持っている力には不思議なものがあるようだ



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