陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-03-30

Top / FrontPage / 2019-03-30

愛の本質

この宇宙を形作っているものは、神の愛であるという教えが有る

あまりに抽象的で理解しがたい
しかし、様々なことを陰陽両面で観る努力をしていると
この幸福の科学の教えが本当だと思えるのだ

先日の血液型の個性を考えるにしても
愛という視点から見ると見えてくる


「愛」とは、そもそも何であるのかというと
フラクタルの森の「思い」の所だ
粘土で作られる器であっても
「思い」(設計図)があって「行い」(具体化)があって出来てくる
全ての物事がそうなのだ

世間では「奪う愛」も愛の中に入れているが
幸福の科学では、愛とは「与える愛」のことだと学んでいる

「愛とは、与えるものである」

この教えは、普遍的であり全ての全てを表現しているように思える
それを強く思えるのが経済理論の中に有るのだ

「仕事」とは何か
商売とは何か
そして、お金とは何かと考えを巡らせていくとみえてくる

それを得るための「行い」(具体化)を考えると
表面的に見ているだけだと
努力して工夫して、何とかしてそれを得るために具体化すれば良いことになる
しかし、その「行い」(具体化)の中には、必ず何らかの「思い」(設計図)がある
その思いの中身がプラスかマイナスか、どの方向のスパイラルを起こしていくかの分かれ道となる

なんとかして収入を得よう、お金を儲けようとして頑張るのだが
その思いの中に目標とするそのモノ、結果だけしかない場合は、奪い合いの構造になりかねない

飢饉の中で水を得ようとする話の中にも有るが
水不足で目の前の水を獲得しようとすれば奪い合いになってしまうが
井戸を掘って水を得ようとすれば他者にも与えることが出来る
人に与えようと協力し努力すればその場限りの水でなく安定して得ることにもなる

経済の中、商売は、「与える」と言うことを無視して成り立たないモノが有るのだ

人に喜んでもらわなければ、求めているお金はやってこない
人に与えることをしなければ、豊かになることは無いのだ
プラススパイラルを起こすことはない

私の陶芸でも
自分の作りたいモノを作っているだけでは成り立たない
少なくとも人が欲しいと思っているモノを作る必要が有る
人に喜んでもらわなければ、自分自身の心が満足することも無ければ
生活費が循環してくることもない

どうやら、仕事とか、商売とか言う経済活動の中には
神様が作られて法則というのか
「与える愛」を学ぶための法則が有るようなのだ

どうやら、消費税増税の賛成論者は、このことを学んでいないようだ
財務官僚にしろ、政治家にしろ、経済学者にしろ
メディア関係者にしろ
この単純な法則を学習できずに来た人達のようだ

どれほど学力が優秀でも
この単純な法則が理解できないので有れば
経済を語るべきではないし
政治に関わるべきでは無い
それらに関して論評するべきでは無いのだ

「商売」は、「与える愛」の実践の場なのだ
これを「奪う愛」で考えているようだと大きな間違いをしてしまう

人に喜びを与え、幸福を与えようとすればそれだけの努力がいるけれど
結果だけを奪おう、もらおうとするだけなら非常に簡単なことになる
詐欺や強盗、振り込め特殊詐欺など様々な方法が有るだろう

この二つの方向性が作り出す社会がどのようなモノになるのか
イメージする能力さえ有れば見えてくる

ここまで極端に「奪う」視点で考えている人は、さすがに少ないだろうけれど
今、日本が陥っている現状を見るならば
どうやら、この「奪う愛」の実践をしている人達が多いことになる

「与える愛」の実践をしている人が多いのならば
日本が何年にも渡って経済成長できないわけがないのだ
与える愛の循環が起きていれば生産性の向上は自然に起こりGDPは増えてくる
経済成長を妨げようとしても阻止することは出来ないはずだ
それが、20数年も停滞している現状が証明していることは
肝心な人達が「与える愛」が理解できず
知らずにでは有るだろうが「奪う愛」の実践をしていることになる

シンプルな商売の中に秘められた
この宇宙の法則、神の法則を学ばずして政治経済に関わるべきではない
簡単なことなのだがこれを理解している人が
左脳的に優秀な人達の中には少ないようだ

何かモノかサービス、何でも良いが
売る努力と工夫をして欲しい
そこから学ぶべきなのだ
イメージして学ぶだけでも良いのだ
それだけでも違うのに

現代の有識者とか学者とか政治家とか
左脳的に優秀な人達は、この学びをしていない人が余りにも多いようだ
もしかすると、商売とか物売りとかいう行為を見下している人が多いのかもしれない
だとすれば、愚か極まりないことなのだが

これは、右脳的な所の学びと言ってもいいように思える

頭脳明晰なために片方の頭しか働かせていない人達
左脳ばかりを鍛えすぎ
右脳をおろそかにしてきた人達

もっと言い換えれば、理系ばかりにこだわり
文系をなおざりにしてきた人達

そして、そもそもの、善悪を判断するベースを自分の中だけに置いている人達
神仏の視点という客観視が持てない人達

創造主から見た正しさの探求が出来ない人達
神の願いを忖度出来ない人達

画像の説明



コメント


認証コード(7370)

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

備前焼