陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-02-28

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考える力の前に必要なモノ

AIによって膨大な知識や情報は簡単に手に入れることが出来る時代になり
人としての能力を「考える力」に求められるようになってきたという

その「考える力」を支えているのは何だろうか
そこにもやはり「知識」と「経験」というモノが関わってくるだろう
そして知識(情報)と知識(情報)をつなぎ合わせる能力が大切になる

発明でも陶芸でも同じで
目標が有ればそこに至る結果を導き出すのに色んな試行錯誤を重ねなければならない
どれだけの試行錯誤を重ねてきたか
失敗というという経験も重ねてこなければ
より短時間に成果に結びつきにくいかもしれない
経験がモノを言う場合もある

しかし、これらは、全て、陰陽学的に観れば陽の部分である
表面に浮かび上がっている陽の部分である

それらを支える目に見えにくい陰の部分が不可欠なのだ


「考える」中でも「深く考える」ことが重要となる
深く考える」こと無く考えることの愚かしさを知る必要が有る

画像の説明
そもそも、その「課題」(テーマ)が何であるのか
何のためにその課題に対して考え答えを出そうとしているのか
出すべき成果目標は簡単に見え、考えればその為の手段も見えてくるだろうが
そもそも、何の為にそれを成そうとしているのかという根元的な課題への答えだ
出すべき結果は見えても向かうべき方向が違う場合が有る

そして、更にもっと重要なのが「悟り」といっても良いのだろうが
いつ(時間)、どこで(空間)、だれが(人間・主体)、という世界観である
私達自身の認識と私達が住んでいるこの宇宙に対する認識だ
この住んでいる世界の認識が真実と違ったモノであった場合
大いなる後悔につながって行くことになる

①神なる存在も無く、人間を偶然に生まれて死んでいくだけの存在と見た場合と

②神仏の子として産まれ、あの世が有り転生輪廻を続けより素晴らしくなろうと努力している存在と見た場合では

色んな課題に対する解答は違ったモノになってしまうのだ

①が真実の場合、陽の表面的な成果ばかりを追い求めることに間違いは無いだろう
しかし、②が真実であった場合
①の世界認識で考える力を発揮しても全くのムダになってしまうこともなる

この部分の大前提の悟りを無視するならば、愚か者となってしまう
どんなに頭脳明晰で成果を出し続けたとしても努力逆転現象が起きるのだ

「信仰」という心が不可欠だということになる



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