陶玄郷
色んな思いが有り そして、交錯する
正しさという思いも有る それぞれの正しさがぶつかり合い火花を散らすことも有る
正しさは、それぞれに有り それがぶつかり合う時にお互いを傷つけあい 傷つきあうのだが
多くは、その自分の正しさから離れようとはしないのだ
相手の正しさから見る事が出来ないとすれば 神から見た正しさも見ることは、当然ながら出来ないだろう
両目を開けて見ることだ そして、立体的に見えたなら毅然とした態度も必要になる
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