陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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企業の目的が利潤追求でないことの再証明

画像の説明

フラクタルの森で陰陽で次のように表現していますが
これは「企業の目的は利潤追求」とする邪見が蔓延しているため
あえてこのような表現になっています

利潤追求(陽)
ーーーー
社会貢献(陰)

しかし、正確に詳しく表現するならば次のようになります


「企業の目的は、社会(顧客)貢献であり、
その手段として商品やサービスを提供し利潤を上げ、社業の発展繁栄継続を目標とし、
その仕事が社会(顧客)貢献という目的(理念)を成しえていることを
結果として証明する使命がある」

「その仕事が顧客(社会)のお役に立つのなら、そこで自己満足で終わることなく、適正な利潤をいただき拡大し再生産し、より多くの人達の幸福に貢献し世界に広げていくためにも結果目標としての利潤にこだわる必要が有る」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

企業(課題・テーマ)の目的と使命(目標)とは何か

先日も書きました大川隆法総裁からの「人生の目的と使命」に関する学びが
私の陰陽学の考え方に大きく影響を与えています
この教えは感覚的に理解できても論理的には理解がしきれなかったのです
そこで、5W2Hに入れて検証した結果納得することになりました

くどくなるでしょうが、その「人生」という課題と「企業」と言う課題を併記してみます

次の各要素を埋める事です

見て  ①何を     (課題・客体)       企業      人生     
思って ②なぜ     (目的・動機・思い) 社会(顧客)貢献  魂の向上
行って ③どのようにして(手段・方法・具体化) 利潤・他    仕事・他
結果  ④どうしたい  (目標・結果・成果)  繁栄発展   ユートピア建設・幸福 

①と④は簡単に入れることが出来るでしょう
①企業に求められる成果は、④継続であり繁栄発展でしょう

①人生に求められる成果は、それこそ色んな表現にはなるでしょうが
一言でいうなら④「幸福」な状態になるでしょう

そして、その①と④を繋ぐモノを入れれば良いだけの事です

人生でも企業でも、その結果を具体化するために必要でも有り重要なモノがあります
生命や企業を維持するための食料であり
それらを得るための「お金」です

手段としての道具でありますが「お金」という存在が大きくのしかかってきます
③の手段の中に、お金を稼ぐこと利潤を上げることの存在が大きく浮かび上がります

その存在の影響力がとても強いために他が霞んでしまいます
そのために、「人生はお金なんだ、お金が重要なんだ」とか
「企業の目的は利潤追求だ」などと短絡的な見方をしてしまうようです

その課題の因果関係を見れば分かりますように
本当に一番大切なことは②の動機にあるのです

問題なのは、②なぜ(目的・動機・思い)が空白になりやすいことです
本当は、ここが結果を産み出す種になります
目的(陰)と目標(陽)の違いがわかりにくいために起きている現象でしょう

目的とは理念・イメージ・設計図でもあり、聖書の中でもイエスが種のたとえをしたり
お釈迦さまも善因善果、悪因悪果と言われているように
「なぜ?」の所です

現代人は、どうしても種を「どのようにして」に入れてしまうようですが
「どのようにして」は、水や肥料を与えることです
この事が企業の目的が利潤追求だと勘違いさせています

そして、④結果を導き出す③手段・方法・具体化は色んなモノが有りますが
お金の存在には大きなモノが有ります

そこで、お金とは何かという探求が必要なのです
お金が存在するためには、その背景に必要なモノは「信用」です

その信用の中には様々なモノが有りますが
究極、深く探求していくと神様からの信用というのが浮かび上がってくるでしょう

結局は、全ての課題は、我々の存在自体にも関わる真理を探さなければ理解できないでしょう
動物的に生きるだけならお金に振り回されて生きることも可能でしょうが
人間としての尊厳を認めるならば
理念無く経済を語るような愚かなことをするべきではない

東大名誉教授とか高名な経済学者達や、財務官僚、政治家、メディア関係者達が消費税の増税に邁進している背景には
この「信仰心」が大きく関わっています
共産主義などの無神論なら無理は無いと思うのですが
そうでない一般の保守的な人達の中にも
この世界観が浸透しているために起きているのが今の現象でしょう

韓国の恥を知らない対応にしても
中国の恥を知らない覇権主義も
日本の経済人の恥を知らない利潤追求も
全てが
この「信仰心」の無さです
信仰の対象を、主体を自分、自分たちにして恥を知ることがありません
「だれが」という主体を自分という小さな器に入れているから
目先の結果やお金に執着するのです

私達が表面的に一番関心のあるお金とは豊かさの表現でもありますが
その豊かさを担保してくれている最大最良最強のものは
神なる存在から来ていることを理解する必要が有るでしょう

まさに、末法の世

この方向を変えるには、私達の心にかかっています
神頼みで成し遂げることは出来ないでしょう
しかし、神の子である私達の心の中には神さまと同じ力があるようです
主体を神なる存在に置く事が出来るなら
無限の富が私達の中に流れ出してくるでしょう
無限の力が流れ出てくることを信じます



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