陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-01-17

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天変地異

阪神の震災から24年
三日後に救援物資をトラックに積んで被災地に入ったことを思い出す
そして、支部長が使っていた携帯電話を初めて使ったことも

23歳の息子もまだ生まれていなかった
その光景は、まるで映画のワンシーンのようであり非現実の中に入り込んだ感覚だった

日本は確かに災害は多く悲惨な記憶も残るだろう
しかし、その悲惨さを語り繋いだだけで良い訳では無いだろう

天罰、天意という視点でも見なければならない


人の命、生き物の命を見ても
アルが命を引き取るのを見ても
命が有る事の不思議を感じてしまう

自然に育まれ命が繋がっていることの中に大いなる奇跡の中に居ることを感じる
生かされ育まれていることを感じざるをえないだろう

色んな事を深く見ていくと奇跡の中を生きている
その奇跡が何の力によってもたらされているのかと言うことを今、人々は忘れている

神々の力、その思いが背景に有ることが想像できないと言うことは「信仰心」の問題だ
神々が、奇跡を起こし続ける為には人々の中に
神々のやる気を削ぐようなモノがあったのでは難しいだろうと思う

天罰という中には、積極的に罰を与え反省を迫るようなモノも有るかもしれないが
助力を与えようとする力が萎えてしまって起こるモノも有るだろう
消極的な意味合いでの天罰も有るだろう

天意を感じることは難しいとは思う
東北の震災の時も
有る政治家が「天罰」と言っただけでメディアが叩いた
その事が象徴的に表してもいるだろうが
消極的であれ積極的であれ、天罰が起きる条件は満たされている

今、消費税や経済の事、いろいろ勉強させてもらいながら深く考えていると
神々が助力を惜しまないというような状況には無いと思えるのだ
自分で破滅に向かおうとしているような状況を
自業自得なのだから、それが理解できるようになるためには放置して置くしか無いと
おそらく、神々は考えられているのだろう

今と言う時代は、その神々の中の中心なる神が地上に降りられ
生の声で神々の声を伝えられている
イエスが預言者として地上に生まれ愛の教えを説いた以上のモノが
この地上にもたらされている

私のような者が、神々のお心を忖度して想像できるような時代であり
出版物としても書店に溢れている
その声に耳を傾けようとしないと言うことは
積極的であれ消極的であれ天罰が何度も何度も起きる事は想像に難くない

神々が、今、地球で一番に期待されているのが日本です
その日本がその使命を果たすことなく
自国だけでなく自分の事だけ考え、結局は、自分をも幸福にすることも出来ないような
愚かな魂達で満ちていくようであるならば
「天災」「天罰」は続いて行くでしょう

本当の意味での「信仰」がよみがえる必要が有るのに
見えない世界をこれほどまでに否定する人達が地に満ちていようとは
その流れを止めることが出来なければ

積極的に天罰を下すしか無い状況も考えられる

アトランティスやムー文明の滅亡のように



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