陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-01-06

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信仰心

今朝の「天使のモーニングコール」(FMラジオ)の中で
信仰心についての話がありました
そこで大川隆法総裁の「悟りに至る道」の中で信仰について語られている
部分が紹介された
(心の発展ー希望と勇気152p)

今更ながら感動した
(実際のお言葉の力は数倍の光を放っていた)


私は、入会当時「信仰」の意味が分からなかった
辞書に書いてあるようなことは分かるのだが
分かった気がしなかったのだ
それってどういう事?なに?なに?

語られる内容は、確かにそうだろうなと信じることは出来ても
具体的にイメージが出来なかった

学びを続け、自分で考えるうち次第に信仰という言葉のイメージが膨らんできて
自分の体験と合わせ確固たるイメージが自分の中に出来てきた

(と、ここまで書いた所でパソコンの上の棚が私の上に崩れかかってきた
私の信仰心を試すかのようなタイミングである)

私は粘土から器を造っている
私と器の関係、神と人間の関係とフラクタル比較して考えることで
神が我々に願われていることを想像して、信仰心という中身を埋めている

しかし、この「悟りに至る道」で語られている内容はもっと深い
この書籍もテープも手元にも有るので読んだことも聞いたことも有る
記憶の片隅に入っているのだが言葉として記憶していませんでした

「神がかくあれと思われ、素晴らしいと思われている世界であるならば、必ずや輝きに満ちたものになるしかない。そういう発見が有って良いはずなのです。」
この前後の部分が総裁の言葉で紹介されました。

この部分は、「富の法」の研修でも学んだ事とも関連します
今年は、奇跡の年
繰り返しこの部分を読んで奇跡の実証者となりたい

まさに「希望と勇気」の最高の教えです

天使のモーニングコールはユーチューブでも流されています。
今日の最新版が出ているかどうか分かりませんが
是非、聞かれることをお勧めします



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