陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2018-11-18

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消費税増税をしようとしている人達の思考の中身

フラクタルの森で考えると、消費税増税をしようとしている人達が
なぜそのような判断をされるのかがよく分かります

簡単に一言で言うならば、考えの主体が自分自身になっているからです
失礼を恐れずに言うなら「自己中」になっているのです

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考える大きな柱には陰陽の二つあって
左脳的(論理的)なことと
右脳的(感覚的)なことが有ります

そしてそれを統御しているのが中心に在る世界観(宗教観)です
額に有ると言われるチャクラであり
ピラミッドの4つの面が集まっている頂点です


考えるという事の基本は、ここを替えて見るということが含まれるのですが
人・時・所を替えて論理的に感覚的に考えるという事

その世界観にも陰陽が有ります
心象世界と現象世界、現実の世界と心の世界の二つが有るのです
同じ事柄でも現実の中での人時所の違いで善になったり悪になったりしますが
心象世界の違いでも同じ事が起こります

高学歴で優秀な人の多くが、この部分が堅くなっているというか
現実での人時所の違いにはうまく対応できるのですが
この心象世界のことを無視して考える傾向が強いようです
そのためもあるのか結論は早く出せるようです
私のように人生に迷いよけいな寄り道をいっぱいしてきた者から観れば
うらやましいくらいここが確立しているのですが
欠点としては、考えが堅くなってしまっているのです

心象世界には、大きく違いが有るのです
いつ(時間)   瞬間か永遠か  死後の世界の有無
どこで(空間)  有限か無限か  霊界の存在の有無
誰が(主体)   偶然か必然か  神仏の存在の有無
この世界観が粘土の如く可塑性に富むことなく小さく固まっているようです

時間と空間もそうですが、
これは縦軸と横軸の関係でも有りますが器の大きさでも有ります
(陶芸の場合は十字架のトンボという道具を使います)
ここで唯物論、無神論という世界観を持ってしまった場合
考えの器が小さく固まっている感じでしょうか
死ねば終わりで神様もいないという世界の器の中で考えてしまいます

そして重要なのが、誰がという主体の部分です
多少なりとも信仰心が有る人では
ここの主なる者を替えて考え易いのです
基本は自と他の関係の中で考えるのですが
神様の視点をとれば3点測量が出来ます
究極的な客観視が出来るようになります

画像の説明

しかし、ここの主たる部分に神なる存在を入れにくい人にとっては
自分と他者の関係だけです
(ただ、ここでの問題は信仰心が有ってもその神という存在自身をちっぽけな者にしてしまっている宗教が有ると言うことです)

自分と他者との関係だけで考えていると
どうしても考えの主体は自分自身になってしまいます
どんなに努力しても考えの主体は自分自身になります
優秀な人ほどその傾向が強くなります

自分がしたいこと(右脳的思考)
自分にとってするべき事(左脳的思考)

消費税増税で考えるならば
財務官僚であれ、経済学者であれ、政治家であっても

財政赤字が膨らんでGDPも増やすことが出来ていない現状を観たくは無いのでしょう
本当は恥であるようなことを観たくなくて
自分という視点を重視するなら責任を取りたくないためか思考停止させざるを得ないのです

税収が不足して自分の収入の原資が少なくなることは不都合です
そして自分が権力をふるえる税金が少なくなることは困ります
そこで、自分が「税収を増やしたい」と思うのでしょうし
そして、税収を増やすことが「するべき」命題なのです

背景に思考停止という傾向性が有って
頭脳も優秀なために上手にその「自分」の都合の良いように
色んな情報も加工してしまいます
思いこんでしまうのです

次の図の経済の循環の中に居る存在としての自己を想定するべきなのに
他人事でこの経済構造を観ている可能性が有ります

この図をじっくりと見るならば
答えは、簡単なのですが

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