陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2018-10-07

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結果至上主義とは?

結果主義とは、陰陽学的に言えば結果を産み出す原因が軽んじられる事だ

原因(陰)が有って結果(陽)がある
その原因をどう見るかということにかかっている

この因果の流れは、もう少し詳しく言うならば
「 見て → 思って 」(陰)→ 「 行動して → 結果が出る 」(陽)となる

多くが落ち込む落とし穴が陽の部分だけで見てしまうこと
行動の部分、方法論の所だけしか見ない傾向が有るのだ

成果を得るためには種をまかなければならないのに
水や肥料をやりさえすれば果実が実るように錯覚しているに等しいのだ

これが、結果至上主義である


結果至上主義の行き着く場所は、泥棒や詐欺などだ
種をまかずに成果を得ようとすること

同じ事を財務省はしようとしている
種をまかずに、税率を上げたり
新たな徴税の場所を造ったりして結果を得ようとする

全く泥棒と一緒なのだ

こう考えると、「 見て → 思って 」(陰)→ 「 行動して → 結果が出る 」(陽)で理解してもらうことの難しさが浮かんでくる

仏教で説かれている「因縁果報」の見方の方が良いのかもしれない
「種がまかれて 水をやり 果実が実り 報い有り」

多くの人が多くの所で
水やりの所を原因と考えてしまうことだ
種に当たる部分が何かを考えることなく結果が出る直前の現象を見てしまう
深く考える」事が忘れられがちなのだ
結果を出すための直前の方法論は色々あるために、左脳的にだけ頭脳明晰な人達が落ち込む罠だ

それにしても、種を正しく見ることは難しい
陰陽を紙の裏と表が有って存在する事にたとえるが
紙の裏側は、ひっくり返せば見えるけれど
本当の意味での「陰・因」は見えずらい
紙幣、通貨でもその価値を支えている裏面は見えずらいのだ
多くの人は、紙幣の裏をひっくり返して見てそれで見たと勘違いするのかもしれない

紙幣の価値を支えているのは「信用」だが
その信用のところを見るにしても様々な見方が有り、
その「信用」の本質を見ることは難しい

やはり「なぜ」を何度も何度も繰り返す必要があるようだ

「種」とは何か?

財務省で考えるならば、税収増のための種は何かといえば
答えは、経済が成長する事、GDPが増えることだ

こういうなら、おそらく財務省からの意見として
財務省に「経済成長」という義務は課せられていないと言う意見が返ってきそうだ
しかし、それぞれの目の前の役目と同時に
どのような部署であっても、全体からの視点が必要です

人体にたとえるなら、今の財務省は、自分だけが増殖すれば良いと考える
ガン細胞のようになっていることになる
全体を考えることなく自分の仕事が完璧に出来れば良いと考えての事だろう

くどいけれど、税収増と言う観点から見れば
その種は、経済成長だと言うことになる
税収増という成果を得るための種は、経済成長である

ただし、税収が増える必要が有るとすればのことだ
税金を集めすぎたり使いすぎていないかと言うことだ
逆の面から考えてみることも必要ではないのだろうか



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