陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2018-08-11

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沖縄の翁長知事のこと

結局は、器の小さな人でしかなかったのかと思う。
今(時間)、ここにいる(空間)、自分(主体)の視点だけで
考え動いてきた人なのでしょう。
こんな人は、自民党の中にも野党の中にも沢山いる

凡人ならば仕方がないけれど
政を執り行う資格としては問題があったのではないだろうか


時間を越え、その地域を離れ、自分を離れ、より大きな世界から、
より大きな立場から物事を観ることが出来ていたならば、
この方のような言動は繰り返さなかったと思う。

言い換えるならば、客観的に見ることが出来なかったということ

究極の客観視のためには、「信仰心」が不可欠です

自と他と全体の視点、
この3点測量が出来ない人が政治の世界に入るという事は罪深い事だと思う

はっきり言うならば「信仰心」である

なぜ、信仰心が必要かというと
意見は必ず2つに分かれるものだ、その2つの意見を白紙の上に置いて
努力して神仏の視点で見ればどうかと考える必要が有る
正・反・合 とも言うのかもしれないが
自と他と全体の視点
この3点測量は、とてもとても重要だと思う

ただ、信仰心有るように見えていても
信仰心を自分の都合の良いように翻訳し手あかに汚れたままにしている人がいる
拝金教で有ったり、自分のご利益のみの信仰であったりする

せめて地球神、
全人類の親である存在が居られるとして
その方から見て考えた時に、どうだろうかと思索する必要がある

正しき心の探究」という事でも有るが
この正しさを探究することなく、
自分の、自分たちの正しさの探究しかしていない人達の多さに驚かされる



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