陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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存在の原点

存在にも陰と陽が有る
陰陽道で知られているが現象世界と心象世界に関するモノだ

現象世界の探求には、物理学的な探求が有る
心象世界の探求には、霊的な探求が有る

心を単純に脳の働きとして物理的なこととゴッチャ混ぜにしているような思考停止の学者もいるが
PCにもソフトとハードが有るように別物だということを忘れてはいけない


物理的なところは理論物理学も進展しているが
霊的なところは、霊界科学的な4次元以降の探求が進まなければならないのだろう

ハード部分である肉体が滅ぶと、その物質は分解されて大自然に戻る
ソフト部分である魂がどうなるのか、物質のように分解され大自然に戻るのかどうか

以前に創価学会やプロテスタントの人に人間の死後の行き先について聞いたのだが
もちろん、その所属の方全てが同じ認識ではないのだろうが言葉としては同じだった
「死んだら、大宇宙と一体になる」というのだ

ただ、この言葉の奥には2つの選択肢があること
死んで自分の魂いがは無くなってしまうのと
死んでも魂は残り無くなってしまわないのがあるということ

つっこんで質問し忘れていたが
聞いた時、前者を意味しているように聞こえた

ただ、宗教の世界では色んなことが言われている

私は、幸福の科学で学んでいるが
他の方と同じ認識では無いかもしれないが
同じ様な質問をされれば先ほどの答えと同じになる可能性も有る
「死んだら、大宇宙と一体になる」

もちろん、魂は残り、
パソコンや携帯の履歴なども消去したつもりでも消してしまえないようにその記憶も残る
フラクタルとして、自己相似性を残しながら全体とつながっている
全宇宙と一体となり大宇宙の一部、根本仏の一細胞として生き続けるように感じている

体の隅々の情報が自分自身でほぼ把握できるようなことと同じように
魂が肉体の中に有っても、根本の神と神経細胞がつながり、情報がつながって居る

それが、「人間が神仏の子である」という表現にもなっていると思う

その為でも有るのだろうが、無宗教、無神論者の方から時々聞くのに
「自分自身が神様だ」というのがある

この言葉にも2つの選択肢が有るのだが
ただ、人間の体でも有る細胞組織が「自分自身が神様だ」として
全体の調和を無視して独自に暴走するならばどのような事になるのか

明らかにガン細胞となり全体の組織を破壊してしまうことになり
これは、肉体(物質的なモノ)が共存できない事になる

そして、魂はということになるのだが
それも全体と共存できなくて、大宇宙と一体になれなくてどうなるのかと考えると
昔から宗教の世界で言われるような「地獄」というところに行くしか無いのだろう

宗教の説く「地獄」は、おぞましいものではあるが
以外とその数は多いようだ
半分以上の人が、本来の所へ帰れずに地獄と言われるような所に行くしかないと言う

その為には反省して、自分を離れ、他者や全体から見つめ直し考え直し選択の仕方を修正しなければいけないようだ
お寺で観た地獄絵図のようなところへ、親族や知人を送り出したくはない

『あなたの知らない地獄の話。』
https://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/ada94ec1126a221b3e39c13c063f14b3



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