陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2018-07-13

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経済停滞、反日教育の加担者の傾向性

25年も日本経済を停滞させ
NHKなど代表的なメディアが反日傾向性を持っている原因は何だろうかと考えると

ふと、高校時代の記憶がよみがえる
今、共産党員になっている姉の存在である
姉からどんなことを学んで影響を受けたのかはっきりと記憶しては居ないが
その当時、私の心の中に有った意識が説明してくれるだろう

「良識ある知識人でありたい」

という思いである
当時社会性も芽生えてきた年ごろであり
他者との比較で自己確立しようとする中で芽生えていた思いであろう


「良識ある知識人でありたい」

良い人と思われたいということであり
君たちが知らない高度なことを知っているという自負心

ある意味、自尊心で有り
正当な思いでもあるのだろうが
自尊心の中にもヨイ子悪い子普通の子がある

他者との比較だけで、優位性を示したい思いに縛られていると悪い面が出てくるようだ

誰であれ神仏の子である
心の中に良識は存在し、他者のためにお役に立ちたいという思いはある
それぞれの正当性は、それぞれの中に有る神仏の子としての想いに有るようだ
その中でも分かり易い心情は、優しさであり、それをよりどころにした義憤で有ろう

しかし、問題なのは、左脳的に優秀で学力も優秀な人たちの中に勘違いをする人たちが多く出る事だろう
他者からの評価も当然ながら客観的に受けている
この他者からの暗示ともいえるものが強く働いているのだろう
強烈な催眠術である

優しさや正義感は単調な観方しかできなければ間違ってくる
優秀な人たちは、複眼で見られなくなるのか人時所を替えた観方ができないようだ

私のように、学力もそれほどなく
人生も右往左往しながら生きてきて
色んな立場に、いやというほど立ってきたものにとっては
自分の中にある「正しさ」というものに自信が持てなかったのだ

これは欠点でもあるが、長所にもなった面がある

必然的に「何故」を繰り返すことになる

そして出会った「信仰心」である

不思議な体験も有って「死後の世界」は有るだろうと若いころから思っていたけれど
「神仏の存在」については、宗教の世界の中からしか学べなかった

しかし、この神仏がおられ「神仏の願い」というものが有るのだと知り
そのことが、現実に、全世界に全存在に投げかけられていることを理解することで色んなことが立体的に見えてきたのである

経済停滞、反日教育の加担者の傾向性に有るのは
この究極の客観視が出来ないところにある

神の願いがどこに有るのか考えることなく
自分の中に有る正当性と理解だけだ
自分自身、自分たちを信じているだけである
どこかで手を合わせて祈るような姿が有ったとしても
この「自分」というものから離れられないでいるのだ

こういう人たちが、また、間違った宗教に組み込まれ
自分たちの自己実現のために思想を構築し行動を起こしていく

本当の意味での信仰心なく
正しき心の探究」無く
神仏のお心の忖度も無く
自分の中の正しさにしがみついている

そのような人たち、為政者や学者、国民たちが
亡国の輩として国内に繁茂しているのだ

やはり、スタート点に戻るべきなのだろう
それは、
「基礎的な宗教教育」である

くれぐれも
「死んだら終わりで神仏も無い世界」をインプットするべきでは無い
そのような世界をインプットされた人は、自分の中の正しさだけが独り歩きをしてしまうからだ

立体的に観えず、距離感もつかめず、片手片足で物事を成そうとするために蛇行現象を起こしている



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