陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2018-07-10

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岡山倉敷小田川、堤防決壊

改修工事も予定されていたようで
このような話、後手後手になるケースがよくあるということだ
その原因は何かと考えると予算の手当が出来ないということだろう

国レベルで観ると財政赤字が足かせになっているという


しかし、この財政赤字の問題は色んな解釈を含んでおり
この観方、判断を間違えるとこのようなマイナス循環が起こってしまう
必要とされるところにお金が使われず、結局は高い出費を強制されることになる

借金にもよい子、悪い子、普通の子が有る
良い借金と悪い借金とが有る

財政赤字、この借金(国債発行)を観るのに
やはり白紙の上に二つの見方を載せて観ることが重要だ
そして、現実・事実・真実・真理へと
段階をすすめて考える必要がある

借金は「悪いとする見方」が財務官僚達や経済学者達の中に多いようだ
国家がする借金をそのように観ている傾向がある
良い借金も有ることを知るべきだろう

資本主義経済は、ある意味借金で成り立っている
資本主義社会に反発を持っているリベラリストが多くなっている為なのか
知らない内に貧乏を愛し、共産主義、社会主義国家が衰退していったような流れが起きている

良い借金とは何か考える必要がある

国がする借金でもそうだが、
どのような借金であれ悪い借金だと誰も貸してくれなくなって当たり前であり
それでも借りようとすると金利を高くしなければ貸してくれなくなる
国の借金でも国債の金利が上昇するだろう

今は、国内市場でお金を借りようとする人が少なくて
金融機関などがお金を貸して金利を稼ぐ場所が少なくなっているから
仕方なく安全な国債に集中して金利が下がっている現状が有る

お金が市場にだぶついているのにお金を借りる人が少ない事実が有る
その理由は、消費マインドが冷え込んでいるからだ
消費マインドが冷え込むと当然ながら投資マインドも冷えこむ

何故、消費マインドが冷え込んでいるのかを考えなければならない
それは、お金を使いたくなるモノや事が少ないという理由が有るだろうし
お金が少なくなることに不安を感じていることも関係しているだろう
結局は人々の気持ちが縮小しているのだろう
「志」とも関係するだろうが、このままで良いわけが無いのだ

お金とは「信用を背景にした道具」であり
その信用にも色んな信用が有る
色んな人、色んな場所、色んな時における信用が有るが
最大最前最強の信用とは何かといえば
神仏からの信用

神仏からの視点での信用を裏切らないモノであるなら
どれだけの借金を積み重ねようと何ら問題は無い
おそらく無いだろうと思う
なぜなら、究極の神仏の思いがこの宇宙を創り
我々生命体や魂を作り育んでいるという真理からである

ある意味不可能な事は無い

ただ、神仏の願いがどこに有るかということを知ることは難しいことだが
人間は、神仏の子であるという真実からすると
市場原理は、神の見えざる手と大きくかけ離れることは少ないだろう

ただ、多くの人が信仰心を持っている事が前提ではある

戦後、基礎的な宗教、信仰心の教育が成されなかった結果
オウムのような邪教の存在を許してしまうことになった

彼らが信仰しているのは、その主体は「自分」「自分たち」でしかなく
死後の世界も信じては居ない
いま、ここにいる、自分の都合だけであり
自分たちの安心安寧、自己発揮でしかなかったのでしょう

財務官僚も経済学者も政治家達も
同じような発想の元に居る人たちが社会を操っているのでしょう

神仏の手に、神仏の願いの元に取り戻す必要がある



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