陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2018-02-25

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フラクタルとは、部分と全体が自己相似になっているという

フラクタルとは、元々数学的な考えでCGなどで使われている
数学的なところは横に置いといて
ここで得たヒントは、陰陽学と関連していることだ

私の見解は、こうだ

一体何が似ているのかという事
部分と全体は自己相似形をなすという
これは、ミクロとマクロは似ているということ
顕微鏡で見る世界と双眼鏡で見る世界とは似ているということ

ミクロの世界もマクロの世界も複雑ではあるが
シンプルに見ようとすると似た構造がその中にはある
その構造は、中心に核があり、その周囲を回っているものがある


ミクロとマクロが似ているなら
その中間に在るものたちの中にも同じ構造があるという事だ

そう、私たちが日常の中にも似た構図がある
何らかのものが中心などに在り、それで成り立っているという形が
翻訳された形で全ての中に在る

その構造の基本を示すような言葉が、昔から世界中に在る

「世界は、陰と陽で成り立っている」という

陰陽の関係は、見えにくいモノと見えやすいモノ
原因と結果であり、他者と自己であり、情と理などであるが
基本となる形は、ミクロとマクロの中に在るように
中心に核があり存在している
その核とは何かというと
おそらく
それは、ある種のエネルギー(フォース)でもあり
神の願いでもあるのだろう

画像の説明

土から器を造るにしても
まず、「思い」が無ければ存在することは無い
これが絶対条件である

世界は、思いと行いで成り立っている
宇宙は、神々の思い(設計図・動機)があり行い(具体化)が有って出来ている
人生も社会も国家も、人々の思い(設計図・動機)と行い(具体化)が有って出来ている

と言い切ることが出来る

ということは、思い(心)の統御がどれだけ大切な事なのか推して知るべきなのだろう



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