陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2017-12-26

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陰陽学と備前焼

『【陰陽】、 相反する同士が互いの存在を存在たらしめ森羅万象が調和を図っているのかもしれませんが、あらゆる事象がAとBに分かれる其の前…混沌に在って、私たちは果たして「自」と「他」を比較し、差異を見いだす事で苦悩を覚え、「上」を想定しては卑屈になり「下」を想定しては優越に浸ると云う、人間の業深き愚行を犯し得たでしょうか。・・・・備前の窯変の景色を見つめては、本来還るべき「混沌」と云う名の故郷への憧憬を深めているのかもしれません。』
これは、私の作品への感想として送って頂いたお言葉ですが
私がこだわっている「陰陽」の考え方の本質をうまく指し示してくださっているのでご紹介します。


とても深い洞察に感心いたしました。
中でも「本来還るべき「混沌」と云う名の故郷」の部分にはしびれました。
この言葉から連想したのが、最初は「真理」という言葉、
そして、ソクラテスの「無知の知」という認識でした。

確かに私達は「混沌」の中を生きています。
しかし、私達は各人の認識ではどうしても出来上がってしまう面が有ります。
分かった気になって物事を自分の世界観で切ってしまう傾向が有ります。
特に頭脳明晰で社会の中で実績を上げられているような人達にその傾向は強く、
時に社会に大きく害を成すような判断をされる場面が多くなっていると思います。

本来還るべき「混沌」と云う名の故郷への回帰が求められている現状が有ると思います。
無知なるを知り、謙虚に素直に求め続け探し続ける人生の旅路がとても大切なのでしょう。

私達が生きている世界は、確かに混沌としており
そのカオスの中でもがいてもいますが
その中で一寸の光明を見つけだす必要がある
その光をたどって行くと神なる存在がぼやけながらも見えてくるものと確信しています

この社会、私達自身の存在、この地球という存在
そして、この宇宙自体の中に神意、天意、仏意があること
そのことを
深く感じ取る時間が多くの人と共有できることを切に願っています。



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