陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2017-12-19

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NHKの受信料問題

先日、裁判所での判断が下された
NHKが勝った形だが
果たしてその判断を下した裁判官に正しさを判断する資格、能力が有ったのだろうか
司法にしろ行政にしろ立法にしろ
神仏に代わって成すという視点が必要なのだ

私は、それぞれの当事者の信仰心を問いたい


人は、色んなモノを信じているのだろうが
信仰心というレベルでないモノも当然ある
自分自身の内面であったり
ご先祖様であったり
自分に益する神仏のみであったり
民族神レベルのものであったり
また、信仰心と言えないおぞましいモノも有るだろう
お金や快楽などをそこに置いて居る人たちも居るだろう

このグローバル化した世界の中で
現代人は、地球神を意識する必要があると思う

本当の意味で客観視が出来ているのか?を問いたい

NHKの受信料は、見方を変えれば「税金」だ
そして、公共放送と言うけれど
果たして公共放送としての働きをしているのだろうかという疑問も有る
昔、TV放送が始まる頃なら
公共放送の使命も大きなモノが有った

受信料という形でテレビを購入した人に「負担」を求めることに正当性も有っただろう
税金という形で国民全体に負担を求める事に対する後ろめたさも有ったのだろう

当時、テレビを買える人は裕福でも有り
受信機を買っても番組放送が無ければ意味がない状況下では
受信料とセットで負担するには合理性も有った

しかし、現代の、今の状況を見れば
そのことに合理性を観ることは出来ないことは明らかだ
逆に民業圧迫している面もあるだろう

確かに、コマーシャルの時間が入っていないことでとても見やすい
しかも、潤沢な資金力も有るのか内容に置いても素晴らしいものも有る

しかし、しかし、なのだ
公共放送という使命故か、良識有るモノにしたいと気持ちなのだろうが
どうしてもリベラル傾向を持つところがある

特別番組や報道番組、そして、ニュースなどでの扱いに
より多くの人たちの耳に優しい内容になる傾向が有るのだ
庶民に分かりやすくしようと思えば、判官びいきになる
どうしても左翼的な傾向を持つようなのだ

ドラマの中にもその傾向性を忍ばせたモノも有り
報道番組の中には、明らかに見過ごすことの出来ないような内容も有る
良質な番組を造っているために
その内容に忍ばせられた暗示能力にはとても強いモノが有る

それが、一番の問題なのだ
番組制作者たちは、よかれと思って造っているのだろうが
私から観れば「止めてくれ」と思うモノが混じっている

これが公共放送なのか?
間違いなく、公共の利益を棄損していくような暗示内容が入っている
造っている人達は「良識有る、知識人」であろうとしているのだろうが
事実をねじ曲げても優しさを前面に持ってこようとする傾向性を持つ
国を滅ぼしていく布石を打つようなモノも有る

どちらにせよ、NHKの初期の使命は終わっている
今の形を存続させてはならないのは明らかなのだ

完全な国営放送として税金の中から運営資金を賄うか
民間の放送局と同じ条件で、資金の集め方も独自に工夫をするべきだろう
どちらにせよ、政権に対する支持や資金の流れで民意が反映される形が望ましいだろう



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