陶玄郷

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FrontPage/2017-11-22

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陰陽両面で観ることの大切さ

経済評論家の三橋貴明氏
先日、講演会で氏の
「企業の目的は、利潤追求」という認識に危惧を覚えた事が有るが
彼の経済に関する慧眼に驚かされる面がある

他の知識人と言われるような方とどこが違うのかと考えていて気がついた事がある
それは、「お金」とは何かと言うこと

三橋氏は、「お金とは、モノではなく、債務と債権の記録」という
この表現になぞって陰陽学的な面での私の認識では
「お金とは、モノではなく、信用を背景にした道具」となる


三橋貴明氏もお金を陰陽両面で観ているのだ
この陰陽両面で立体的に観ておられるところが他の学者と違っているところだろう

一般的には、お金を表面的な面でしか観ていない
お金とは何か?
お金はどこで生まれているのか?
お金の持っている価値とは何か?
借金の持つ意味とは何か?
深く考えることをしていない

たとえば、国、政府の借金(債務)が有る反面には必ず資産(債権)が出来ているという
政府が借金したお金を無駄な浪費的なモノに使えば消えて無くなるが
インフラ整備や国防に使えば、有形無形で国の資産になり価値を上げていくことになる
たとえ借金が増えていっても
その国の経済規模が増えていけば借金の相対的な額は下がっていく

これは、家庭レベルで考えれば分かることだ

子ども達は、成人するまでは、間違いなく親からの借金で暮らしている
その借金を記録すれば莫大な金額になる
しかし、その借金で成長し知識を得て働けるようになれば
その借金額を超えて家計を支えることが出来るようになる

その親はと言えば、信用が有り借金が色んな所から出来るのだ
言い換えれば、通貨発行権持っていているに等しい
親の子供に対する借金額を超えるだけに子ども達が成長するならその家庭全体の経済規模は増えて行くことになる

日本と言う国が、明治維新後急速な経済発展をしてきたことと一緒だ

政府が借金してきた額の説明を氏は成されているが数十万倍とかになっているという
借金は確かに膨大な額になっているが
その国が成長することが出来るなら何らの問題が無いことになる

結局その価値を支えているのは、「信用」だろう
明治維新後、政府の債務は天文学的に増えてきたが
その債権部分である信用(有形無形の資産)もそれ以上に増えてきたことになる

それが、この25年間GDPが増えていないと言うことは
債務と債権のバランスを崩しているのだ
借金が国力を増す方向でなく無駄なモノに使われてきたことになる

日本は、世界で唯一成功した社会主義国家であると言われることが有るように
明らかに社会主義的な国家になっている
ソ連などが崩壊したように危険な領域に踏み込んでいるのだ

結局は、経済的信用を失っていることになり
そもそも、神仏から観ても間違った方向に進んでいる
「信用」という目に見えない債権を担保してくれる最大のモノは神仏からの「信用」

日本国民に信仰心が無くなってきているからだろう
本質的な宗教を無視し、自分宗教が蔓延しているからかもしれない
全人類の親である所の神仏から観るべきなのだ

表面的な眼に見えるモノだけで判断するべきでは無い
表面的な借金の額だけで観るべきではない

三橋貴明氏は、他にもいろいろ両目で立体的に観られている
ぜひ、氏の説明をネットなり講演会で聞いて欲しいモノだ

くわえるに、「宗教」とは何かと言うことも
氏にも両目で観ることをして戴きたいとは思う



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