陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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フラクタルの森とは

考え方の基本は、眼が2つあって立体的に見れることとも関連しますが
2つのもの、陰と陽の二面で見ませんかという提案です
その理由をここで説明しておきます

そもそも、フラクタルとは、CGなどで使われる数学であり
「図形の部分を拡大すると、 全体と相似する形を見つけられる」という構造のことをフラクタルと言います
要するに部分と全体は相似形を成すということで、とても面白い示唆を与えてくれる幾何学です。


私の理解では、ミクロとマクロは似てるということ
顕微鏡で見える姿と、天体望遠鏡で見える姿は似ているということ

ということは、その中間にあるものも似ているはずです
様々な物質の中にも人生の中にも社会の中にも、
見えている姿は様々ですが、その奥の部分を見ようとすると確かに似ている姿が有ります
中心に核を持ち渦を巻いている

では、その核を持ち回転している姿とは何だろうか
そのミクロの世界とマクロの世界を貫いている法則を教えてくれる言い伝えが有ります
それは、「世界は、全てが陰と陽の要素で成り立っている」
この陰陽の考え方は、東洋だけのものではなく世界各地にあるようです

フラクタルの「部分と全体は相似形を成す」という考えと
その相似形を成している基本の姿と、この陰陽の考え方がどうしても引っ掛かります

もう一つ、関連性のありそうなものがパソコンの中にあります
コンピューターの動作の基本はゼロとイチ、オンとオフの2進法です
この単純な2つの要素で複雑な仕事を高速でこなし、あのAIのような人工知能も基本は、この2進法です

この「フラクタル」と「陰陽学」、「コンピューターの原理」などを見ていると
色んな所に相似形のものを観ることが出来ます
文学的に色んな事を表現する時に、比喩という形で表現できることも
何となく見ていますが、おそらく、似ているからでしょう

結論から言うと、いろんな製品も人生も社会も国家も2つの要素の連鎖と重なりで出来ていることが分かります

これは、車の運転で見てみると分かり易いでしょう
まず、乗るか乗らないか、次に、エンジンをかけるかかけないか
次に、ギアを入れるか入れないか、アクセルを踏むか踏まないか
ハンドルを回すか回さないか、右に回すか左に回すか、ブレーキを踏むか踏まないか・・・・・
そして、目的地を観ながら目の前の状況を観る必要があること
さらに、自分の進路と相手の状況を見ながら調整が必要になること

考えてみると、車の運転でも常に2つの選択が重なり複雑に絡み合っていることが分かります

これは、人生でも一緒であります
ということは、いろんな悩みの中にあったり、いろんなテーマが目の前に突き付けられた時に必要なのが2つの面で見ることが重要だと言うことです。

陰陽には、様々な考え方が有るでしょうが
陰陽の基本は、見えやすいものと見えにくいモノです
紙の表側と裏側のような関係でもあるでしょうが
時間的なモノと空間的なモノ、人間的なモノとがあるようです

もう一つ、2つの面で見ることの重要性を示唆してくれるのが
我々に与えられている眼の仕組です
眼は、右脳と左脳に直接つながっている線と
クロスしてつながっている線とが有ります

物事は、両目で観ないと立体的に見えない
立体的に見ないと距離感も測れないし正確に観ることは出来なくなります
眼が2つあること
右脳と左脳に分かれていることに大きな秘密があるようです
この4つの関係は、フラクタル的に観ると宇宙全体の構造とも深い関係があることが想像できます(窯の上に作っている道の形)

この右脳と左脳の持っている特徴は、感覚脳と論理脳と言われていますが
明らかに陰と陽の関係でありしかも次に説明する5W2Hとも深くかかわります

物事を正確に見るためには、論理的な視点が必要です

論理的というと、結局は、5W2Hで抑えておかなければなりません
When(いつ)・Where(どこで)・Who(誰が)・What(何を)・Why(なぜ)とHou(どのようにして)にHow many(どのくらいの数で)How much(いくらで)などを加えますが、英語では翻訳しにくいので日本語で分類し整理をします。

分かり易く陰陽の視点を加えて整理すると次のようになります

いつ(時間)・どこで(空間)・誰が(人間・主体) ・・・世界(現象世界と心象世界)

何を(課題・客体)・なぜ(目的・動機・設計図)  ・・・思い (陰)
どのようにして(行動・具体化)・どうなった(目標・結果)・・・行い (陽)

これを言葉を換えて説明すると、先に述べたように
「世界は全て陰と陽で出来ている」ということになります

世界(社会)は、人々の思いと行いによって出来ているということ
これは、私が造る陶芸作品の器たちにも当てはまります
どのような製造物でも、陰(設計図)と陽(具体化)で出来ているのです

では人間という存在はどうでしょう
人間(生命体)も偶然に出来てはこないのです
DNAという設計図が有ってその具体化という進化の過程があって存在しています

ダーウィンの進化論の不備は、その設計図の所を見ていない
明らかに思考を停止した不完全な理論でしかないことが分かります

設計図が有るということは、設計者が居るということ
本能もそうです
本能とは一つのプログラムでもあるでしょう
プログラムが有るということはプログラマーが居るという事
プログラムの設計をした存在が居るという事

ここでは、これ以上の論理は、ソクラテスの「無知の知」という悟りの言葉で停止しておきますが、本来、この部分を探究せずに済ます訳にはいかない事です
神なる存在の有無については証明不可能な事なのに、そのような意思、思いの投影などありえないとして、無知を認めず神仏の存在を否定するをもって有識者、知識人とするような愚だけはおかさないで欲しいモノです。

いまだ、この愚かな判断でダーウィンの進化論を信じている人たちは
その原因がどこにあるかというと
世界観」が間違っているために「思い」(陰・設計図)と「行い」(陽・具体化)の見えにくい部分を見ようとしないせいです
両面を観ていないのです
見えやすい、証明もしやすい、表面的な所しか見ようとしないからです

言い換えると、
左脳的な知性や理性的な所が優秀でも
右脳的な悟性や感性の所が未成熟な方が多いということです
そもそも、2つの面で見ようとしていないこと
これは、リベラルな発想をしがちな方や左翼思想に引き込まれてしまう人達の特徴でもあります

政治や経済の面で色んな意見が有り対立することがありますが
その原因を探れば、陽(左脳的な知性や理性)と陰(右脳的な悟性や感性)の両目でバランス良く観ることが出来ている人と
ある時は、陽(左脳的な知性や理性)ばかりで考え
また、ある時は陰(右脳的な悟性や感性)ばかりで考えている人
要するに蛇行気味に考えてバランスを欠く人がいるのです

政治的な表現をとれば
左翼と右翼の考え方は、まさに蛇行している人たちであり同類です
本当の意味での保守とは、蛇行することなく進むことの出来る人たちです
両足を交互に使い歩くように緩やかに揺れながらも真っ直ぐ歩かなければ目指そうとしている目的地にたどり着きにくいと言うことです
蛇行していては、崖にぶつかったり谷に落ちたりしてしまいます

また、言い方を変えると進歩と調和の考え方でもあります
縦軸を中心に考えるのか横軸を主に考えるのかということでもあります
山も高さだけあってすそ野の広がりがなければすぐに崩れます
逆に高さが無く平坦な丘だと山がもたらせてくれる大きな恵みを得ることが出来ません

タテ糸とヨコ糸があって織物が織られるような事とも似ているでしょう
富士山のように美しい山を創って行かなければならないという事です



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