陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2017-09-06

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「道徳」とは何か

物事には、陰陽が有り
陰陽にも踏み込むと、更に陰陽が有る

どのようなことにも、この4つの柱(悟性、感性、知性、理性)で成り立っているようなのだ
4つの柱の中に「道徳」を入れてみよう

「道徳」と密接に裏表の関係は、「宗教」です

その「道徳」「宗教」と裏表の関係は、「社会」です
「社会」は何で成り立っているのかというと「法律や規則の制度」です

これを5W2Hに当てはめて考えると


「宗教」・・・・いつ、どこで、だれが、なにを(世界観
「道徳」・・・・なぜ            (設計図)  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「制度」・・・・どのようにして       (方法)
「社会」・・・・どうなった、どうしたい   (結果)

道徳を支えているのは宗教(世界観)です
もちろん、どのような社会にしたいのか
どのような世界にしたいのか、その理想像を描かなければなりませんが
道徳を考える時、「宗教」のことを考える必要が有ります

基本的な宗教教育が必要です

これが「深く考える」と言うことです

ただ、「日教組」の中心を占めている世界観では、
マルクスの「宗教は大衆の麻薬」という考えがあるので「宗教」教育など論外です
死ねば終わりで、神仏も無く、人は精子と卵子の結合で偶然に生まれてきただけだとする世界観(宗教観)から「道徳」を考えるならば、どのような道徳教育が適切になるのか、考えてみると良いでしょう

「道徳」とは、洗脳教育であり、教育者の都合でいかようにも変えられてしまうと見るでしょう
それ故に、道徳教育とは為政者が大衆を洗脳する道具と見てしまいます
結局は、自分を見るように為政者を見ているのですが

それでは薄っぺらな精神性しか醸成でき無いことは明らかです

「命の大切さ」という考えも有りますが
「なぜ」大切なのかと言う探求が要ります
大切な理由は、人とは神仏の子供であり、この現象世界で魂の修業をするために肉体を持ち生きているからなのです
その尊い使命を帯びているのに、チョットした挫折で投げ出してしまったり、それを妨げたりするようなことは、神仏の視点から見ても悪であるからです。

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