陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2017-08-12

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逆説的に考える

私は、「死後の世界が有る」ことを信じていると言うよりも
確信しています
しかし、考えるという事から
逆の面から見ることがしばしば有ります

「死後の世界は無い」という事を確信しているとどうなるか
その代表選手であるカール・マルクス
あの共産党宣言の人であり、旧ソ連、中国共産党、北朝鮮の思想の元になった人の考え方が正しいとするならどうなるかということ
画像の説明

彼の認識に「宗教は、大衆の麻薬である」というのが有ります
確かに死後の世界など無く
死後の世界、霊的世界が無いのであるなら
神仏の存在などあるわけが有りません

であるなら、葬式や法事などと言うモノは
残された人の為の慰みにしかならないことになります
悲しみや寂しさを和らげるための麻薬のようなモノでしょう

神仏に頼るなどごまかしでしか有りません

そんな宗教を熱心にやるという人は
麻薬中毒患者のようなものです

覚醒剤中毒、アルコール中毒患者にまともな判断なんか出来ようが有りません
政治等に関わるなどもってのほかであり、表の社会から追い出す必要が有り
隔離する必要も有ります

現に旧ソ連、中国、北朝鮮では粛正されました
殺されたのです

死後の世界が有るか無いかの考え方は、「分からない」を真ん中にして
「何となく」から「確信」レベルまで様々です
日本でも多いのがぼんやりとしているのがほとんどでしょう

しかし、考えるなら、「有るか無いか」
有るのであるなら様々でしょうが、真実はどちらかです

「無い」を選び、どんどん確信に近づいていくなら
どんどん、北朝鮮や中国、ソ連のような社会になるということです

日本にも共産党が有ります
そこまで行かなくても、他の政党や自民党の中にも
同じような世界観の方が多くなっているようです

左翼思想は、「死後の世界は無い」という世界観を背景にしています
そして、時間空間人間の世界観が小さくなっている場合です
いま・ここにいる・自分(自分たち)を主体として考えがちなのです
要するに、目先の事でしか考えることが出来ない人たちが
どうしても左翼的な考え方に引っ張って行かれることになります
結果として、無責任な結論を引き出してしまいます
これは、視点を変えれば、人間では無く動物に近い考え方です

同じ課題でも違った意見が出て対立します
その原因は、単純では無いでしょうが
何故を何度も繰り返し探求していくと
その原因は、ここに有るのです

「死後の世界の有無」
「神仏の有無」
「人間とは偶然か必然か」   
     偶然に進化したのか、それとも、神仏の願いによって創られたのか

これらの認識の違いが背景に有って、意見の違いが生まれてきます
正しい世界観無くして正しい判断など出来ようが有りません

中途半端な曖昧な認識では、どうにもならないでしょう
間違った認識の元に、政治を行ったり、政治に加担する、投票するなどもってのほかです

本当にそれで良いのでしようか
正しい世界観を探す事がとてもとても重要だと考えます



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