陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2017-07-26

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幸せになるため生まれてきたんだ

サルサガムテープの「ワンダフル世界」という歌の一節
「幸せになるため生まれてきたんだ
生きていることが大好きなのさ」

障害者たちが中心になって演奏されている曲
私も今、毎週、吉備高原都市にある「さくら苑」という障害者施設に通って陶芸に関わっている

うちの末娘にも軽度の障害が有って
今、A型事業所で働かせていただいている
確かに障害があるけれど私にはある種の個性にしか見えていない
さくら苑の入所者にもいろんな障害があり
介護者の力を借りなければまともに作品に仕上げることは困難な人が多い

ただ作りたいものだけを作っていても限りがあるし
やりがいも出てこないので何かを工夫しなければならないと思っている
干支を型で作ってもらったり
ツボ押し指圧器やペンダントなど作ってもらって
毎月近くの吉備プラザで行われている吉備高原マルシェなどで
格安で販売していく方法など模索している

サルサガムテープの「ワンダフル世界」という歌の一節にある
「幸せになるため生まれてきたんだ」

この言葉には大きな意味が含まれている
幸福の科学の大川総裁に
「幸福になるということは、権利でなく、義務なのです」というお言葉がある
私の「フラクタルの森」の中に入れても、論理的に言って間違いなく権利でなく義務なのです

「幸福になる義務がある」

どのような人生計画の元に生まれてきたのか分からないし
何らかの事件事故でそのような環境にあり、その理由もはっきりとは分からないが
その中での心の持ち方には、大きく2つある
ネガティブとポジティブといってもいいが
2つの道がある

神様からそのような環境が与えられて、
あなたは、どちらの道を選びますかという課題が問いかけられている
自分だけの幸福だけでなく
周囲をも幸福にしていく道も、間違いなく有る

厳しい環境を与えられているけれど
乗り越えられないような課題は与えられてはいない

人生の目的と使命は何かということも教えられている
「人生の目的と使命は、ユートピア建設と魂の向上」
魂の向上、心の修行の結果、自己も他者も幸福になっていって欲しいと
神様は願われている

霊的人生観から観ると、この世(此岸)は仮の世界であり
本来の住まい、あの世(彼岸)から魂修行のためにきているのである
仮の世界であっても、それは、現実としてある世界
この世の命が尊い理由は、そのような使命と目的を持っている命を
神様から与えられ、そのようなチャンスの中で生きているからだ

途中で自ら放棄して自殺したり自堕落な生き方をしてはいけないし
まして、他者の勝手な理屈でその人生修行の邪魔をして良い訳が無いのだ。



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