陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2017-05-27

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考えるという事

考えるとはどういう事かと考えてみると
フラクタル陰陽学的に観ると
紙の裏と表を観ようと努力することと言っても良い
白紙の上に2つを並べて観ると言っても良い
両目で観ることと言っても良い

すべては、陰と陽で成り立っている

簡単にいうなら

何であれ2つの視点が必要だと言うこと
時間のなかでは、原因と結果であり・・・・いつ
空間のなかでは、他者と自己であり・・・・どこで
人間のなかでは、感情と理性・・・・・・・だれが

そして、課題(なにを)やイメージの持ち方(なぜ)や
方法(どのようにして」)、そして結果(どうなった)に対する評価も少なくとも2つの視点が必要だと言うこと

複雑に観ると訳が分からなくなりそうですが
とにかく、両目で観るが如くその対象とする課題を立体的に見ること

たとえば、「幸福」とは何かと考えてみる
どうしても、幸福感を得られた結果や評価で判断してしまいます
何が手に入ったか、なにを感じ取ることが出来たか

結果には原因が有ります
お金、報酬、給与、儲けで考えても
他者がおり、原因があって、誰かがそれらの基になっているお金とかを支払ってくれています

要するに他者の「幸福」に貢献することなく結果は生まれない法則が有ります
本当は、表面的な報酬とか評価の裏側には
他者に対して「幸福を与える」ことが出来ているという事が存在します
どうやら、陰陽で色んな物事を見ているとこの表裏一体の2面を無視した存在など無いようです

その陰陽、紙の表とをつなぎ合わせているのが
「思い」だといっても良いのかもしれません

「与える愛」の大切さを学ばせて頂いていますが
経済原理の中にも
この基本原則は有ります

お役に立ちたいという思いが魂の中にも
この宇宙全体にも有るような気がしてなりません

表面だけを観ていてはなかなか観られませんが
宇宙は、「愛」ゆえに成り立っていることが
小さな事を深く考えて積み重ねていくと
見えてくるようです。



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