陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2017-04-09

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財政再建と消費税、そして国、民の幸福とは

窯焚きを終え、転がりながら本を読んでいて
「財政再建と消費税」という言葉が目に入って
急に起きあがりパソコンの前に座る

結局は、国家が維持できるのか
国民が幸福に生きられるのか
それをベースにどれだけ世界の為にお役に立つことが出来るのか
神仏の目から見て
神々が感動してくださるような国家と出来るのかが問題なのだろう

この辺の理想というか、
そこに向かってどうすれば行くことが出来るのか
それが見失われているのが現代社会の実情ではないだろうか

窯焚きでも
ついつい、温度計上の結果だけを求めたり
自分が休みたいという欲求と
表情の良い作品を焼きたいというこちら側の都合だけで考え
窯の内部の事情、オキ(貯蓄、財産)がどれだけ残っているか
どこまでその力が後の事に恩恵を与えてもらえるのかなど忘れてしまうように
・・・・窯焚きの反省、おかげで後半を苦労することになった
国政レベルでも対処してしまいがちなのを感じる

財政再建
要するに借金を積み上げてきたのは、政府の責任
票目当てでばらまいてきたことのツケの部分が多いだろう
もちろん国民の責任でも有るが
そのツケを国民に払わせようとしているのだ

そもそも財政赤字の問題点はどこに有るのか考えると
我が家の家計でも言えることだが借金の中身であろう
幸運にも、バクチや浪費での借金は無い
子供の教育費や車両費だけだ
窯への投資もたしかに効いてはいるが
おそらく神仏から観ても少ない稼ぎの中でよく頑張っていると認めていただけるだろう

問題なのは、神仏から観て「それは、いかがなものか?応援できるモノでは無い」と思われるような内容の場合だ

将来、必要であると思われることには
赤字、借金を重ねてでも投資する必要が有るが
過ぎた社会保障は、国民を甘やかせることになり
国家の重要な資産である所の人材を腐らせてしまう可能性が有る

そもそも、年金制度だが
賦課方式と言うことだが、考えるとまるで「ネズミ講」だ
若者に老人への仕送りを強制的にさせようとしているように見える
それが無理だということが見えてきたので
消費税増税などで賄おうとしている
それは、経済活動の中から吸い上げることになり
経済活動にブレーキをかけるような宿命を持つ
結局、若者世代の活動の中から吸い上げて老人へ渡そうとしていることだ

若者達が、親世代への感謝から老夫婦へ仕送りをしていくのなら問題が無い
国の仕組みとして強制的にやる場合は無理も生まれ問題が出てくることになる

手間暇のかかる子供の教育など国家に任せ
うまく立ち回った方が、年金もたくさんもらえたり
色んな理由を付け生活保護を受けたり
国家に面倒を見てもらえる算段をしたほうが得で有るような社会となる

こんな社会を神仏が応援されることは無いだろう
神仏の子である人々からの信用も失われその国家の経済は崩壊する方向に向かうだろう

運が良くなるわけが無いのだ



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