陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2017-03-31

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考える・・・・とは、おもしろい行為

「考える」とは、不思議な言葉だ

「考える」と思って始めることは、まず、記憶の中をひっくり返し始め
何かを思い出そうとしているのだ
記憶の中に何か見落としているモノはないかスキャンしている自分を発見する

そして次にすることは、新たな情報が見つかった場合と
何も出てこなかった場合と2つの道筋があるようだが
どちらにも共通しているのが、確かに何かを探そうとしている

初めにすることは、方法論(どのようにして・how to)に関することと
結果(どうなった・how meny,how much)に対する評価に関する部分である

別のモノを入れてみようとする

そして、無意識下でやっていることは、人・時・所(when,where,who)
を変えた視点で見ようともしている

考える初めには、課題(なに・what)が有るが

ここで往々にして忘れられているのが「なぜ」(why)である
ダーウィンの進化論の中でも忘れられている

この部分がとても重要である事が忘れられている

なぜ?と言う言葉は、5W2H全てに関係するが
そのことで本来の意味が軽んじられているようにも見える

WHYの肝心な部分は、思いであり、動機である
言い換えるとイメージであり、設計図でも有る

仏法真理を学ぶにつれ、
はっきりしたことは、まさに、この部分を磨くために
私たちは、この3次元という苦界に身を投げ出して修業しているようだ

釈迦の悟りにも有るように
生老病死という四苦
愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦という八苦と言われるように
「人生とは苦である」という

様々な課題が目の前に表れ、それをどのように観てどのように解決していけるのか
その問題、課題を説いていかなければならない
その様な使命が与えられている

それは、すぐには点数が着かないかもしれないけれど
間違いなく点数が着いていると思われる
因果関係の延長線上にその点数は蓄積されている

化学の実験などで、すぐにその結果は出てこなくても
臨界点を越えると反応が現象化するように
間違いなく蓄積されていく

メインは、思いで有るが
その課題に対する対処全てがアカシックレコードなるモノに記録されているという
そして、全ては経験として貴重な体験として
全宇宙のビッグデーターとして蓄積されているようなのだ

間違いも含めとことん考え抜いて生きていきたいモノだ



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