陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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神仏が我々に何を願われているのか

私は、粘土で器などを造っている
その関係もあり、神様が何を願われてこの宇宙を創り
我々を創られたのかが想像できる

私たちが器を造る時に込めているシンプルな願いは
「個性を活かしお役に立って欲しい」という願いである

そして、もう一つ
神様が何を願われて私たちを生み出し育まれているのかは、
親と子や孫の関係で想像できる
もちろん、凡夫としての親でなく立派な親ではある
子や孫に何を期待するだろうか考えると見えてくるだろう


子供達が健やかで繁栄発展を望まれてもいるだろうが
エゴイストにだけはなって欲しくはないと思われているだろう
「素晴らしい人、立派な人となり、より多くの人々の為にお役に立って欲しい」と願われているだろう

もし、恥ずべき存在となるようなら、ライオンが我が子を千尋の谷から突き落とすというような故事にも有るように、天変地異にて人類に警告を発せられることも有るでしょう

ただ、過去から様々な神々が歴史の中には顔を出されるが
その地域の一部族だけの神様も居る
民族神と言われる存在だろうが

過去のまだまだ閉鎖された時代環境の場合はそれでも良かったのだろうが
現代は、地球を一つとして見て考えなければならない時代だ
地球上の全人類の親で有れば、どのように判断されるかということを考えなければならない時代だろう

現代社会に、真の預言者、神の言葉を預かる者であるならば
全人類を我が子とした認識の元に世界を導こうとするだろう
その様な方こそ現代の救世主です

自分を主としてだけ物事を考える人には
現代に、この地上に降り立った救世主、主なる存在を見つけることは無理でしょう

神のお心ならどのように見られるだろうと正しき心の探究する姿勢を持って、考える事をしなければ救世主を見いだすことは難しい



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