陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2017-02-06

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無知の知」からのスタート

ソクラテスの悟りでもある「無知の知
当時の知識人と言われているような人たちと議論をして分かったこと
ソクラテスは知らないことを知っているのに彼らは違ったのです

色んな事を議論しても現代でも同じような人たちで満ちている
たとえば次のようなことだ

画像の説明

この図の質問に対する答えの正解は、「?」分からないのはずなのに
左側の答え・・そんなモノは有るはずがないという答えが返ってくる事がある

色んな意見はあるにせよ、それぞれに証明されていることでは無い
それにもかかわらず、完全否定する人がいる

おそらく、ソクラテスの時代にも同じようなことが有ったのだろう

そのような答えを返す人たちには
社会的地位もあり、頭脳明晰で優秀な人がも多いようだ
どうやら、いつの時代も同じような事なのかもしれない

このような目にも見えない、証明も出来ないようなことを考えるに際して
一体どのような態度が必要なのか考えてみよう

やはり、最初は心素直に「分からない」ことを認めることから始めることなのだろう
そして現実・事実・真実へと歩を進めていくべきだろう

最初の課題について考えてみよう
神仏、創造主なるモノの存在の有無である

神仏がおられ我々の魂や肉体を創られたかどうかなど
分からないのが「現実」だ
しかし、事実を集めてみる事は可能だ

色んな事実が世間には有る

NHKでも「ダーウィンが行く」という番組を放映しているように
環境の変化により突然変異を起こし、
それが適者生存し、自然淘汰され、進化してきたという説が有る
要するに偶然に進化してきたという考えが、かの公共放送なる所から流されている
これも確かに事実ではある

しかし、真実はどうだろうか
他に事実としてこんなモノも有る

過去、色んな宗教家達が訴えてきたように
神なる存在が有り生み出され育まれてきたとする考えも有る

そして、陶芸で創られる器であっても必ず作り手が存在する
目の前に有る器が偶然にこの世に生まれてきたなどと言い張る人はいない

物事には、必ず設計図が有る
生命体にも命の設計図としてDNAがある
設計図が、これまた、偶然に出来ることなどあり得ない
必ず設計者が存在する
有機物だからといって、勝手に化学反応しながら進化することなどイメージ出来ない
イメージできないことを具体化出来ないことは万人が認めることだ
その証拠に、人類は未だに単細胞の生物すら創造できていない

白紙の上に、これらの様々な事実を左右に分けて並べてみることだ

これは、このことだけに限らず全てのことに言えることだけれど
ただ、この事実を並べて見るだけで
浮かび上がってくるモノと
沈んでいくモノははっきりと見えてくる

そこに真実なるモノが有ることを知るべきだろう
知性の本質とは、その様なモノではないのだろうか
無知の知を認めたところから始めるべきだ



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