陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2016-10-19

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玄明の独り言

土から器を作り続け 作りながら考えることが有る
この器がこの世に生まれ出るために一体何が必要なのかと

生まれるためには、作ろうとする作者の思いか
作って欲しいと顧客からの願いか・・・陰(思い)
いずれかが必ず必要なのだ

そして、作り出すための様々な作業が必要になる・・・陽(行い)

偶然に出来上がることはあり得ないこと

粘土が有り薪が有れば様々なことが重なって偶然に器らしき物が出来て火に焼かれ
それが次第に適者生存し、自然淘汰され、進化して、端正な器になっていく事などあり得ないこと

まして、生き物の場合
その精緻さ故に比較になろうはずも無い

しかし、昔は、無機物と違い有機物だから
自然に合成され偶然に出来てくることも有るのだろうぐらいに考えていた
今考えれば、まるでカルト教の如く信じ込まされていた

少し考えることさえ出来れば、そんな事などあり得ようも無いことは理解できる
しかし、思考停止、エポケー、思考放棄
未だNHK始め世間は信じているようだ

ダーウィンの進化論は、ハウツーの陽の部分しか観ていない愚かな理論
設計図(陰・思い)なく出来る物など何もない

どのように私たちが生まれてきたのか素直に分からないことは分からないと認めるべきなのだ
しかし、唯一絶対の神が作られたとする考えもどうかと思う

陶芸作家に色んな人がおり色んな器が焼かれるように
色んな神々がおられるのだろう

おそらく、その神々を創られた主なる存在も有るのだろうが
そんなことは分からない

しかし、陶芸家が器達に願いを込めて作り出すように
主なる神も願いを込めて私たちを産み出してくれているのだろう

全人類には、共通した思いが心の中に刻み込まれているようだ
神性、仏性とも言えるモノだが
地球の裏に住もうが悪人であったとしても
心の奥に確かに有る

創られた神々の願いと同じモノが込められ
神々と同じ力で
様々なモノを産み出している

全ての存在には、どんなに小さくてもその願いが込められている
素朴に考えても
「役に立って欲しい」という願いが込められている

身の回りに有るものを見回しても
人々の創りだしているモノには何らかの事に役に立って欲しいという思いが込められている
まして、私たちの魂の中に込められているモノが
それらの物に劣るようなモノで有るはずがない



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