陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2016-08-18

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政治が目標とすべき事

画像の説明
政治、政府の持つべき基本理念(目的)は
経世済民、世のため人々の為に尽くすことであり
その結果どうなればその理念が実現されたと言えるのか、このところが、とても曖昧なので
目標と手段を間違えている感が有ります
大事なモノを後回しにして目標としてはいけないモノを掲げているようです

この勘違いを正さない限り、より良き社会は生まれてこない

何をどのように間違えているかと言えば
「福祉社会」を目指しているように見えることです
要するに「社会保障」や「生活保護」が充実している社会を目指そうとしている
これは、結局は、国家に国民がしっかり面倒を見てもらうような社会を目指すことになります

深く考えていただければ分かるように、これはとても異常な社会です

確かに色んな社会保障制度が有ることで助かります
我が家でも末の娘が生まれた時に心臓に障害を持って生まれ
半年間に二回も手術を受けました
とても高額な手術代に、本来ならばその命をあきらめなければならないような状況でしたが
高額医療制度のおかげで命が永らえ今が有ります

これは、確かに有り難いことでありますが
本来ならば、自費でまかなえるような経済状況を作っておかなければならなかったと考えています。
全員が、このような税金からまかなってもらえるような制度に頼るのが当たり前の世界を作ってしまうならばとても問題が有るでしょう。

このような社会保障制度などは、目標とすべきでなく手段と考えるべきです
どのような国でも必ず助けを必要とする国民が出てきますが
そのことを中心に据えて国民が国に頼って生きるような国家を作るならば必ず滅んでいくでしょう

そのために社会保障制度は手段として必要では有りますが

神が願われているのは
国民が自立し、お互いを助け合うためにも納税をし国を支え
素晴らしいユートピア建設を成し遂げ
周辺国をも助けていけるような国にして欲しいと思われているはずです

そのような具体的な姿とは何かを考えてみると
数値に表れる所を探してみるならば「GDP」です
国民総生産の数値、
要するに国民が産み出した価値ある商品やサービスの総量です

政府が目指すべき「結果目標」は、「GDP」にあると言ってもいいでしょう
「将来の年金などの社会保障費を賄うためには増税はやむ得ない」
とする考えは、明らかに手段と目標を勘違いしているのです
目標は
「国民が社会保障などに頼らなくて良いような社会を創り出す」事です
そのためにはGDPとして表れる部分の成長を促すことです

税金をいっぱい納めさせ、国家の仕事を増やし、
国民を甘やかすことが当たり前の社会を創り出すことは、悪です。
国家の成すべき仕事は最小に押さえ
国民が自力で社会全体を素晴らしく成長させるような環境を創り出すことです。

消費税などと言う、GDPにブレーキをかけるようなものは無くしていくべきです

「将来の年金などの社会保障費を賄うためには増税はやむ得ない」
とする考えは、社会保障に頼る人たちを多く創り出そうとすることであり
小さな個人として良いように見えても、これは美しくない社会です。
神の願われている姿とは大きく離れてしまうでしょう。
神の願いとかけ離れた社会の存続は許されないはずです。

理想とするような結果(目標)が得られない背景には
必ず間違った見方が有るでしょう
「正見」が出来ないために主と従を間違えてしまうのでしょう

基本は、正しい信仰です

神々の願いは、個人の単なる安心安寧だけではなく
素晴らしい国民と国家を創り出して欲しいと願っておられるに違い有りません。



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