陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

宗教と人間

宗教と人間

日本が素晴らしくなった原因は何だろうと考えると
聖徳太子の存在を忘れるわけにはいかない
神道のトップが仏教に帰依し仏教の教えを日本全国に広め
その教えで日本人の心の器の大きさを広げたこと
もともと神道の中にも「多神教」的な世界観が有ったところに
仏教精神(現代の仏教は形骸化して宗教の本質を失っているが)を入れられた
儒教の教えも入れ、その後の武家社会の武士道の精神性の中にも花開いた
「神」や「仏」、そして、「天」という視点が入ることで「恥を知る」というマインドが熟成された
天(仏神)の存在を意識し、そのご加護を受けつつも厳しい眼差しを感じていては
悪事など、やろうと思っても非常にやりにくい世界観である

日本人は、無宗教と言いつつ「多神教」の国民である
キリスト的な愛の教えも知らずにしみこんでいる
戦時中であれ、南京大虐殺とか従軍慰安婦問題とか
日本の軍隊を悪く言う風潮があるが論理的に見ても間違っている
そのような精神性を打ち込まれている人たちで構成される軍隊に対して
どんなに強制しようが悪辣非道なことが出来るわけがない

リベラルを気取り、良識ある知識人を気取りたい人たちは、
歴史を自虐的に見ることで自己の良識を証明したい気分にもなるのだろうが
そのような見方をする人の中にこそ
そのような状況に置かれれば、簡単にそのようなひどいことをやってしまいかねない要素を持っている
自分を見るように人を見るという性質を持っているのが人間です
自己の中にその要素が有るからそのように他者も見てしまうのでしょう

多くの左翼思想に毒されている人たちは、本当の意味での宗教心は無い
信仰心がないから、人を見るのに、どうしても表面に見えているものだけで判断するのです
いろんなところで手を合わせて祈っている姿があったとしても、
そこに有るのは、自分の利得のみを祈る思いの姿でしょう
天(仏神)の思いや願いなど考えてもいないはずです

宗教に4態あります
無宗教・一神教・多神教・至高神
左翼思想は無宗教と一体です
無宗教は、一神教より極端にひどい一神教となります
どうしても主なる神は、自分自身であったり、自分たちの思想です
無宗教(マルクス教)の国家、ソ連や、中国、北朝鮮、
ポルポトのカンボジアが粛清でどれだけの国民を殺してきたのか、歴史は証明しています

日本は、あきれるくらいの多神教の国家です
この多神教の世界観が、日本にもたらした恩恵は大きい
日本が素晴らしい国になった原因は、その発端は仏教を入れた聖徳太子です
間違いなくそこにある
その素晴らしさの反面、おめでたいくらいの人の好さ
自虐史観を押し付けられても自分を押し殺し素直に信じてしまうところが有ります
戦争を前に、廃仏毀釈で神道と仏教を切り離し一神教に引っ張って戦争をしやすくしました
仏教の平和的な慈悲の心は戦争には足かせとなるように判断したのかもしれません

いま、本当の意味での宗教の時代に入らなければならないでしょう
それは、基礎的な宗教教育です

粘土で作られた器であっても、そこに使命(願い)が込められているように
この高度な存在である「人間」に込められている使命(願い)を感じる必要が有ります
神々の願いが込められているからこそ存在出来ている世界だと信じることです
私たちの魂もその仏神の心を刻み込まれた存在であり
霊的世界においては、その神仏たちと一体の存在であることを信じることです

神仏、天の心を心として生きようとする人々が弱くあってはいけません
このグローバル化した世界の中で、ただ自国の経済的繁栄だけに埋もれていて良い訳はないでしょう
世界を素晴らしくしていくために与えられた様々な力です
私たち人間自身が、その神々の代理として全権を預かって
この地球を創ろうとしていることを・・・・

2013年  9月

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